「かはみうけあへ(『彼は…』見受け合へ)」。「か(彼)」は「かれ(彼れ)」「かの(彼の)」のそれであり、理性的な客観性を帯びた自覚のそれ。「かは…(彼は…)」はその自覚が提示されるわけですが、「かはみ(『彼は…』見)」は、その「彼(か)は…」の状態で、その提示の状態で、見る、つまり、ものやことが理性的な客観的提示となっている状態で見る。「み(見)」という動態は視覚刺激を受ける印象が強いですが、その動態の本質は意思動態であり、それが視覚刺激を受けること、目により光を受容することを意味する印象が強いのは日常生活においてその影響が非常に強く広範だからです。「み(見)」という動態は視覚刺激を受けることだけを意味するわけではなく、そこには知的生命体たる人の自然生態として意思動態が作用しており、知覚認知したものやことの意味を知ろうとする動態がそこには働いている。すなわち、そうした、知り、判断する動態が「み(見)」によって表現される→「相人(サウニン:人相などを見る人)ならねど、よき人はものをみ給なり」(『大鏡』:思考し判断する)、「聴といふは理を察(ミル)ぞ」(『弥勒上生(ミロクジャウシャウ)経賛』)、「具合が悪いので病院へ行ってみてもらう」(診察し、診断し、治療してもらう)。「かはみうけあへ(『彼は…』見受け合へ)→かむかへ」は、ものやことを、そうした『彼(か)は…』の状態で、上記の意味で、「み(見)」、その「み(見)」の内容を得(え:受け)、自己に「あへる(合へる)」、自己に全的に完成感を生じさせ融合させ自己に一体化させる、つまり自己が決定される(判断される)、努力をすること。簡単に言えば、その意味は、さまざまなものやことに関し、それがどういうもの・どういうことであるのか調べ、知ること、知ったことに基づいて、それがどういうもの、どういうことであるか判断をなすこと、なしたその判断、です。その場合の「それ」が人や社会のあり方に関することであれば、疑問によって発動され、容疑を調べ、処罰することも「かむがへ」になり、それが自然現象や天変地異などであれば、その意味を調べ知ったりすることは「うらなひ(占ひ)」にもなる。

この語の音(オン)、あるいはその表記、は「かむがへ」「かんがへ」になる。漢字表記は後には「考」が一般的になりますが、歴史的には「勘」「案」「験」「括」「撿」「挍」などの様々な字が書かれる。

「更(さら)に人民(おほみたから)を校(かむがへ)て、長幼(このかみおとと)の次第(ついで)、及(およ)び課役(おほせつかふこと)の先後(さきのち)をしらしむべし」(『日本書紀』崇神天皇十二年三月:「人民(おほみたから)を校(かむがへ)」とは、人民(おほみたから)全体を把握し全体の中でのその意味づけを明瞭にすること)。

「悉(ことごとく)に、采女(うねめ)奸(をか)せる者(もの)を劾(かむが)へて皆(みな)罪(つみ)す。是(こ)の時(とき)に三輪君(みわのきみ)小鷦鷯(をさざき)其(そ)の推鞫(かむが)ふることを苦(たしな)みて頸(くび)を刺(さ)して死(し)ぬ」(『日本書紀』舒明天皇八年三月:「たしなみ」は絶望的な状態になること。「身だしなみ」の「たしなみ」ではない。「推鞫(かむが)ふることを苦(たしな)みて」は取り調べ・尋問で絶望的な状態になったのでしょう)。

「(酒宴において、空から鼬(いたち)が盃の中へ入り膝に飛び降りどこかへ行ったことを)希代の不思議なりとて、やがてかんがへさするに…」(『曽我物語』:吉凶を占わせた(その意味の把握を行わせた))。