「かひ(交ひ)」の他動表現。「とび(飛び)」(自)・「とばし(飛ばし)」(他)、「すみ(澄み・済み)」(自)・「すまし(澄まし・済まし)」(他)のような変化。「かひ(交ひ)」の他動表現には「かへ(交へ・変へ・替へ・代へ)」もありますが、それは語尾E音化により外渉性が生じることによる他動であり、「かへ(交へ・変へ・替へ・代へ)」は(「かひ(交ひ)」の)交換動態が外渉的に現れますが、「かはし(交はし)」の場合は(「かひ(交ひ)」の)語尾A音化により情況化した動態が「し」のS音により動的に働きかけられ使役的な他動表現となります。他動とは他に何かを働きかけることですが、使役型の他動とは、他に何かをさせる、という類型の他動です。「かひ(交ひ)」は相互動態ですが、相互動態における使役とは、相互動態性が強調されその信用性が(この場合は交換の信用性が)強調されるということ。そうした意味で、「かはし(交はし)」は、相互的動態交流させること、交換させること。たとえば「言葉をかはし」の場合、言葉において、言葉の状態で、相互的動態交流させることになるわけですが、その場合、言葉が言葉の状態で相互的動態交流した場合、言葉で言葉を、言葉が言葉を、理性的に確認する状態になり、理性的に確認している言葉とされている言葉が現れ双方の言葉が言葉として作用します。言葉が言葉と作用し、言葉が動態として相互作用することが表現されます。相互作用する何かは具象的なこと抽象的なことさまざまです。「文(ふみ)をかはす」、「枝をかはす」、「身をかはす」、「約束をかはす」、「心をかはす」、「睦(むつ)びをかはす」、「雅(みやび)をかはす」。「時(とき)」の場合は、「時をかはさず」と言われ、時が時と相互動態作用しないとは、他の時がないわけであり、そのまますぐ、という意味になる。「月立たば時もかはさず撫子(なでしこ)が花の盛りに相見しめとぞ」(万4008:月がかわったらすぐ)。「『とみの御物なり(急ぎのものだ)。誰も誰も、あまたして、時かはさず縫ひてまゐらせよ』」(『枕草子』)。
「~かはし」と、「~」で動態が表現された場合、その動態が相互動態であることが表現される。「(約束を)とりかはし」、「言いかはし」、「見かはし」、「呼びかはし」、「思ひかはし」、「恥ぢかはし」(互いに恥じ入る。遠慮しあい慎(つつしみ)みあうような状態)。
「まことに皆酔ひて、女房どものいひかはすほど、かたみにをかしと思ひためり」(『枕草子』:この「言ひかはし」は酔って楽し気なことを言いあっている。「~ためり」は「~たり」と「~めり」)。
「つい爲(した)ことから若旦那と深く言(いひ)かはして、身儘(みまま)に成(な)ってわ(は)いふに及(およば)ず(自由なときはもちろん)、今でも一所に居ない斗(ばかり:一緒にいないだけ)、お客の座敷に出て居ても心は離(はなれ)ぬ夫婦仲と…」(「人情本」『春色梅児誉美』:これは、 「言ひかはし」が「夫婦になり」とほとんど意味が変わらない)。
この「かはし(交はし)」が信用取引に関し言われる場面も生じますが、その場合にはこれは「為替」と表記され、その語尾はさらにE音化し「かはせ(為替)」と言われるようになり、語尾E音化により外渉性は強まり、すなわち使役性は強まり、その相互動態性・信用性は強調・強化されるようになります(信用性が増す、という意味ではありません。信用性を保障しようとする努力が強化されるということです(※ 「かはせ(為替)」という語は1600年代に大阪ではじまったらしい))。「かはせ(為替)」は、それを語源通りに表現すれば、「行き合ひ言はせ」(相互に行き合うという交流動態において言はせ)、になるわけですが、その場合、「言はせ」るのは相互交流動態たる言語であり、約束であり、契約です。すなわち「信用取引」ということ。そこに意味や権威がなくなったとき、信用取引は破綻する。