「いきあひいひ(行き合い言ひ)」。語頭の「い」は退行化し、「きあ」は「か」になり「ひいひ」が活用語尾「ひ」になっている。「~あひ(合ひ)」は、「(お互いに)知りあひ」や「愛しあひ」などのように、相互に交流関係をもって、交感関係を維持しつつ、なにかの動態があること。何らかの動態が相互的であること。「いきあひ(行き合ひ)」は、AとBにおいて、AからBへとBからAへとの相互的進行があること。それを「いひ(言ひ)」、すなわち「いきあひいひ(行き合い言ひ)→かひ」とは、相互的進行動態交流が表現されることであり、対象に関しそれが言われれば対象の交換が表現されます。たとえば、自分が持つ「これ」と相手がもつ「それ」に関し、『これとそれかはむ(これとそれ交はむ:これとそれ行き合ひ言はむ)』と言えば、これとそれを交換しようと思う、という意味になる。原意としては『これをかはむ』も『それをかはむ』も、それを交換しよう、これを交換しよう、という意味になりますが、のちには、「かはむ」は、それ、に関して言われ、これ、に関しては『うらむ(売らむ)』と言われるようになっていく(「いち(市)」が生まれるころにはそうなっているでしょう)。すなわち、「かひ(交ひ)」は、対象であれ、さらには現象・事象であれ、交換を表現し、たとえば「馬かふ」と言った場合、それは馬を手に入れること(「馬え(得)」)ではなく、何かと交換し馬を得ることを意味する(馬を何かと交換することも意味し得る)。「かひ(交ひ)」は、主体の動態を表現しますが、それは他の主体との相互動態です。すなわち、その動態の真性は自己だけでは維持できない。あらゆる主体、ただその主体だけでは維持できない。
「馬かはば妹(いも)徒歩(かち)ならむ」(万3317:鏡と馬を交換し(妹の鏡で馬を買い)馬を手に入れたらあなたが徒歩になってしまう)。この場合は、とりわけ交換対象の一方が貨幣の場合、漢字では「買ひ」と表現される。「本を買ふ」。「かふ(買ふ)」は、後世では、手に入れる、自分のものにする、という印象の語になっていますが、原意は、交換する、です。
この動詞は「~かひ」と、「~」に何らかの動態が表現され、その何らかの動態が主体の相互動態として現れていることを表現する。すなわち複数のその動態が現れそれらが交換的に相互作用する動態にあることが表現される。「川上は木の穂刺しかふ」(『出雲風土記』)。「飛びかふ鶴(たづ)」。「行きかふ人々」。
一般的に交感情況になることも表現する。「恨みをかふ」。