「かねて(予ねて)」。「かね(予ね)」を経(へ)、の意。この「て」は「とへ(と経)」(「と」は助詞。思念的に何かを確認する)。

「かね(予ね)」は『彼(か)は…(あれは)』と遠くに思ひをはせるような経過動態にあることを表現しますが(→5月6日)、これが、『彼は…(あれは…)』と何かを認知すること、それを想的に経過する情況にあること、何かを知ったり、気づいたり、感づいたりすることやそうした内的情況にあることを表現するのが「かねて(予ねて)」(「かはにとへ(『彼は…』にと経)」と読むと意味はわかりやすいでしょうか)。

たとえば将来のことを「彼(か)は…」と想う。「かからむと(かくあらむと)かねて知りせば越の海の荒磯(ありそ)の波も見せましものを」(万3959:斯(か)くあらむと「かはにとへ(『彼は…』にと経)」(かねて)知っていたら)。「梓弓いそべのこまつたが(誰が)世にかよろづよかねてたねをまきけむ」(『古今集』:「よろづよ(万年:永遠)」を彼(か)はにと経。永遠に想いをはせ種を撒いたのは誰の世にか)。

あるいはそうした情況にあることを「彼(か)は…」と想う。「つひにゆく道とはかねてききしかど(聞いていたが)きのふ(昨日)けふ(今日)とは思うはざりしを」(『古今集』)。

また、なにごとかを特に気づかせる特別な情況にあること、その情況の特別感、も表現する。「あしびきの山のあらしは吹かねども君なきよひはかねて寒しも」(万2350)。「近江のや鏡の山を立てたればかねてぞ見ゆる君が千歳は」(『古今集』)。

 

「趣味と実益をかねて(兼ねて)」のような、一般的表現の「かねて(兼ねて)」はもちろん別にあります。それは動詞「かね(兼ね)」と助詞「て」であって、現代の日本人その他に特別に説明するまでもないことだろうということです。