◎「がに」の語源

「かかはに(~か?彼は、に)」。「か」は疑問を表現する助詞。「かは(彼は)」は、あれは、のような意であり、「~か?彼は」は、~か?あれは、という倒置表現。「かかはに(~か?彼は、に)→がに」、すなわち、~か?彼は、に、とは、~か?あれは、と思うような動態が起こり、情況が生じるということ。つまり、意外な、さほど甚大深刻な事態ではありませんが、驚きというか、衝撃的なことが起こる。「~」には終結した表現が(文法的に言えば文が)入り、たとえば「「霜がおりる」か?彼(か)は、に…→霜がおりるがに…」、は、あれは「霜がおりる」ということか?に…(後記の例の場合は「霜もおりる)」、ということ。

「秋田刈る仮廬(かりほ)もいまだ壊(こぼ)たねば雁(かり)が音(ね)寒し霜も置きぬがに」(万1556:この、~ねば、は逆接。霜も置きぬ、か?彼は…に。霜が置いたということか?あれは…と思うほどに寒い)。

「むろがや(武路我夜)の都留(つる)の堤(つつみ:都追美)の成(な)りぬがに兒(こ)ろは言へどもいまだ寝なくに」(万3543:「都留(つる)」は地名。山梨県都留市。「むろがや(武路我夜)」は「室が屋」であり養蚕で蚕を育てていた施設か。「都追美(つつみ)」には「堤(つつみ)」と「慎(つつ)み」がかかる。これは、成りぬがに言へ、ではなく、成りぬがにいまだ寝なく。会うと言ったのに、堅固な堤(つつみ)でもできたかのように、繭に閉じこもりでもしたかのように、あなたはいまだに会ってくれない、という歌)。

「生ふる橘……あえぬがに花咲きにけり 」(万1507:落えしまったということか?あれは…に。飽和し散ってしまう危険を感じるほど満開に橘が咲き誇っている。これは大伴家持が坂上大嬢に贈った歌の一部)。

「醜(しこ)霍公鳥(ほととぎし)今こそは声の嗄(か)るがに来鳴き響(とよ)まめ」(万1951:こそ~「響(とよ)まむ」の已然形、ということ。声がかれそうなほど鳴くなら今だろう、ということですが、歌が作られた事情がよくわからないので、今こそは、の意味は不明。もう当然そうなっていいほど豊かな初夏だ、ということか?)。

 

◎「がに」の語源

「がかはに(~が彼はに)」。「が」は所属を表す助詞。「彼は」は、遥か彼方へ想いをはせているような、何かに憬れたような状態になっていることを表現する。「~」には何らかの動態表現が入り、「がかはに(~が彼はに)→がに」は、~の彼(か)はに、~が(憧れのような)「彼(か)は…」となって、その動態になることを憧れて、と、その動態になっていることを夢見て、ような表現になる。

この表現は「~がね」の東国方言とも言われますが、関係ないです。言っていることは似ていますが語の構成は異なります。

「おもしろき野をばな焼きそ古草に新草交り生ひは生ふるがに」(万3452:生ふることを夢見て、のような表現)。

「さくら花ちりかひくもれおいらくのこむといふなる道まかふかに:桜花、散りかい(かき)曇れ、老いらくの、来むといふなる、道まがふがに」(『古今集』:老いて行く道がまがい見えなくなることを夢見つつ桜よ世界を散りかきくもらせてくれ(世界を見えなくしてくれ)、という歌。これは在原業平の歌)。

「泣く涙雨と降らなむ渡り川水まさりなば帰り来るがに」(『古今集』:この場合の、「帰って来る」の「彼は…(あれは…)」、とは、現実の人として現れること、生きて帰って来ること、を言っている(「わたりがわ(渡り川)」は死者がそれを渡り「あの世」へ行く川を言う)。そういう意味で、帰り来ることを夢見て、のような表現。涙で川が渡れなくなればよいのに、ということ)。

 

※ パスワードがどうのとかでログインできなくなり、あっちにメールをおくると「リマインドメール」なるものが来るというのですが、来ない。もう一時間ぐらい来ません。

………と思いつつ、ログインのところをもう一度おしたらログインしてしまいました。「リマインドメール」はまだ来ていないのですが…。どういうシステムですか、これ。そういうわけで、アップが遅れました。