「きはなるみましつつみ(牙歯なる見間しつつ見)」。「きは(牙刃)」でもあり、ようするに「きば(牙)」。「みま(見間)」とは、見ている(空間的時間的)間(ま)。「きはなるみましつつみ(牙歯なる見間しつつ見)」とは、「きは(牙)」を見たような、空間・時間を怖さ、緊張感を感じるそれにしつつ見た、ということ。『万葉集』の歌にある表現。
「阿良之乎乃 伊乎佐太波佐美 牟可比多知 可奈流麻之都美 伊埿弖登阿我久流(あらしをの いをさたばさみ むかひたち かなるましづみ いでてとあがくる)」(万4430:『万葉集』には「かなるましづみ」が用いられている歌はもう一つ万3361がありますが、それはここでは省略)。
「いをさたばさみ(伊乎佐太波佐美)」は、「たばさみ」は「手挟み」であり、手でつかんだりかかえたりして持つことですが、「いをさ」(下記※)は「いへをさ(家長)」であり、「家長(いへをさ) 手挟(たばさ)み」は、(家族の者みなが頼りにしている)家の主人を(手軽に物を持ち運ぶように)手につかんで(持っていき)、ということ。
そして向かい立ち、「きはなるめはしつつみ(牙歯なる見間しつつ見)」、厳しい恐ろしい目で見つつ、『出(で)て』と言い、私はここにいる(この歌では「かなるましづみ」は恐ろしい目で見ています。上記万3361の場合は、極度に緊張した面持ち、というような意味)。
これは古代、防人に召集された東国の人の歌です。表現が非常に圧縮されたものになっているのは、それほどに言いたいこと、伝えたいことがあったということでしょう。
※ 上記「いをさ」という語に関しては、(戦闘用の)小さい矢、とされることがほぼ常識のようになっています。「い」は「射」や「忌」であったり語調を整える接頭語であったりし、「を」は「小」で「さ」は矢を意味する古語だそうです。これは接頭語の用い方も奇妙であり、矢を意味する「さ」という語もない。ここでよく引き合いに出されるのが万3330(下記※)にある「投(な)ぐるさの遠ざかり居て(投左乃遠離居而)」という表現ですが、この「さ」は、それ、のように動態情況を指し示し、全体は、何かを投げるかのように、投げる情況で、遠ざかり、ということ。
(『万葉集』の「羊」の字)
ちなみに、この万3330で最初に言われる「あゆ」の原文は一般に「年魚」と書かれます。これは魚名たる「あゆ」の別称であり別表記ですが、ここのこの「年魚」という表記は平安末期ころにはもうすでに原文が書き変えられて生まれている「原文」であり、この部分はいわゆる西本願寺本の『万葉集』では「羊魚」になっており、それが本来の原文です。これが誤字だか誤記だかが言われ、「年魚」になった。『元暦校本』『天治本』『類聚古集』といった書き物でそうなったのです。鮎(あゆ)は「年魚」ですから(一年で死ぬから。ちなみに、中国語の「鮎(語音、ネン、漢音、デン)」は(小さめの)ナマズを意味する)。問題はこの「羊」という字です。後世ではこれは哺乳動物たる「ひつじ」です。しかしこの字は『説文』に「羊 祥也」と書かれる字であり、それは、めでたきこと、よきこと、を表す。その意により、たとえば、千歳(ちとせ)、を「千羊」、すなわち、千祥、と書き、逆に言えば「千羊」を「ちとせ」と読み(→万3302)、「羊」の字が「年」の字になる、「羊」が「年」をよきこととして表現する字になり、「羊」と書いて「ね」と読むことまで起こった(→万3278)。「ね」は「年」の音(オン)です。つまり、万3330にあつた「羊魚」は誤字でも誤記でもないのです。それが、歌が生まれ書かれた当時の正しい本文であり、それが誤字・誤記になったのは平安時代末期にはもうすでにその字の意味がわからなくなり、当時の『万葉集』研究者に読めなかったからなのです。
ちなみに、「羊」の字で年(とし)をあらわすことは『万葉集』には相当に現れています。特に多いのが巻十一と巻十三。巻十四では3507と3543で「ね」の音(オン)に使っている。巻十六3804の題詞では「累年」が「累羊」と書かれる。3810の添え書きでは「経年」が「経羊」になる。巻二十4359には人名の「羊」がありますがこれは羊(ひつじ)なのか年(とし)なのかは不明。巻十の1857と巻十六の3788では「羊蹄」と書いて「し」と読んでいますが、これは植物たる「羊蹄」(別名、ぎしぎし)の古名が「しのね(『し』の音(ね))」であることによるもの。