「かはならず(「か」は鳴らず)」。「か」は、「岩木よりなり出し人か」「今も鳴かぬか」「吾妹子が今も思へか」等の文末にもあるような、助詞の「か」にも現れている、K音の交感とA音の情況感により気づき・考えること(思念すること)が発動し疑問の情況にあることを表明する「か」。それが自らに発生し自らに届くことを「なる(鳴る)」と表現した(自然音のようなそれが聞こえてくるわけです)。つまり、「かはならず(「か」は鳴らず)→かならず(必ず)」は、疑問が発生することなく、の意。否定表現とともに用いられ、全く疑問なくそうだというわけではない(そうではないこともある)、と表現されることもある。その場合には「かならずしも」と言われたりもする。

「かならじ」という言い方も『日本書紀』にあります。語尾の「じ」は、けしてない、の意の助動詞のそれ→「じ(助動)」参照。つまり、疑問はない、ということ。

「『……師(いくさ)を興(おこ)して還(かへ)りて戰(たたか)はむ、其(そ)の勝(か)たむこと必(かならじ)』。山背大兄王等(やましろのおほえのみこたち)對(こた)へて曰(のたま)はく…」(『日本書紀』)。

この語の語源は、諸説言われつつ基本的に未詳とされますが、「かりならず(仮ならず)」の音変化と言われることが多い。しかし、「かり(仮)」は終局的帰属感がないことを表現しますが、「かならず(必ず)」はある現象が起こることに疑問・疑惑がないことは表現しますがその現象に終局的帰属感があることは表現しない(「かならずそうなる」は、終局的に帰属しているとは言えない状態で、ではなく、終局的に帰属している状態で、そうなる、という意味ではなく、そうなるかならないかの疑問なくそうなる、という意味)。

 

「『万歳千秋(よろづちとせちあき)の後(のち)に、要(カナラス)朕(わ)が陵(みささぎ)に合(あは)せ葬(はぶ)れ』」(『日本書紀』:そうすることに疑問が響くことなく。「万歳千秋の後」は、死んだら、ということ。幼くして亡くなった孫の建王(たけるのみこ)を合葬しろと言っている。これは建王が亡くなった際の老いた斉明天皇(女性)の言)。

「後もかならず逢はむとそ思ふ」(万3073)。

「カナラズ振舞ノヨクテホメラレタルニハアラズ。法ノオキテヲ存ズルユヘナルベシ」(『雑談集(ザフタンシフ)』:疑問感が鳴り響くことなく振る舞いが良くてほめられたのではない(その判断には疑問がある))。

「かならずそのゆゑ尋ねてうちとけ御覧ぜらるるにしもはべらねど…」(『源氏物語』:常にそのゆゑを尋ねて、という意味ではなく、疑念がないほどゆゑを知って、ということ)