◎「かなで(奏で)」(動詞)
「かひねらで(支ひ音ら出)」。「かひね(支ひ音)」は、環境にある何かに対し交感を生じさせる努力たる音(ね)、ということですが、この「かひ(支ひ)」は、「鼻の下に物をかひて…」(『今昔物語』」)のように、何かを支持し維持するという意味効果もあります(→「かひ(支ひ)」の項)。「ら」は情況を、「~ら」は「~」の環境情況にあること・ものを表現しますが、それは時間的・空間的に複数や複数体でもある。「かひねら(支ひ音ら)」とは、なにかや、なにごとかを支持したり維持したりする音(ね)の複数体ということですが、なにごとが支持されるのかというと、舞(まひ)です。すなわち、「かひね(支ひ音)」は舞の伴奏たる音(ね)。単に一つの鼓(つづみ)を打つだけだったとしてもそれは「かひね(支ひ音)」。「かひねらで(支ひ音ら出)→かなで」とは、すなわち、それが現出するとは、音(ね)が出ること、楽器の演奏が始まることではありますが、事実上、舞が始まることを意味する。その音響を発するのは、舞う人の周囲にいる人が楽器その他で行うこともあるでしょうし、舞う人自身が膝を打ち、足を踏み、あるいは声を発しそれを行うこともあるでしょう。それらの様々な音(ね)が舞にともない次々と現れる。この「かなで(奏で)」という動詞は、元来は舞を舞うこと(舞が出現すること)が中心的な意味ですが、楽器を演奏することも意味し、後には楽器を演奏することが中心的な意味になっていきます。古くは鞭(むち)を振るうことも「かなで」と言いましたが、これは、鞭(むち)を振るう動作が舞を舞うようでもあり、その際には音響も発せられるからでしょう。漢字表記では「奏」のほかに「乙」も使われますが、これは「乙」は「甲」に対し二番目→副次的→添え物→伴奏、ということでしょう(これにより、「乙」の字音を取った「おつ」という語が、伴奏→添えられる音→添えられる音の具合→調子、という意味にもなり、良い伴奏が聞こえて来たような状態であることが『おつだねえ』になったりもする)。
「其(そ)の爾(のち)大前小前宿禰(おほまへをまへすくね)、手(て)を擧(あ)げ膝(ひざ)を打(う)ち、儛(ま)ひ訶那傳(かなで) 自訶下三字以音 歌(うた)ひ參(まゐ)來(き)つ」(『古事記』:これは、下記「かなと」の項にある、大前小前宿禰に呼びかけた、「… かなとかげ」の歌に大前小前宿禰がこたえた描写です。この「支(か)ひ音(ね)」は自分で膝を打ち歌を歌っている(情況を考えれば、伴奏者はいないでしょう(太鼓を打つ程度の伴奏者はいたかもしれませんが))。また、「舞ひかなで」と表現されるということは「かなで」は「まひ(舞ひ)」ではない。しかしそれは舞ふことも表現し得、楽器を演奏することも表現し得る)。
「…庭火の光あきらけくかなづる袖を見るぞ嬉しき」(『堀河百首』:これは舞を舞っている)。
「奏 カナヅル 文選註 作楽之總号」(『和漢音釈書言字考節用集』(1717年))。
「乙 カナツ 今時凡奏楽ヲカナツルト称スレトモ、モト手ヲ以テ舞フノ称ナリ…」(『歌儛品目』(1822年))。
この語の語源説は「かひなで(腕出)」であって舞うと腕が出るからとするものが圧倒的に多い(この説は舞の異演目や同演目の実演回数を「一かひな、二かひな」と表現することがあったことにも影響されているのでしょう。これは舞は手が印象的だったから、ということですが、そこでは音響は表現されていない)。
◎「かなと」
「こやなと(小屋な門)」。小屋のような、小屋を思わせる、門(モン)。具体的には、屋根のついた門。「かなとかげ(かなと蔭)」はその屋根の下。
「… かなと(加那斗)かげ かく寄り来ね 雨(あめ)立ち止(や)めむ」(『古事記』歌謡81:これは、「雨(あめ)立ち止(や)め」(雨を立って止(や)んだ状態にする)は雨宿りすることであり、屋根のある門のかげたるここに来て雨宿りしろ、こちらの保護に入れ(軽太子の味方などしているな)、ということでしょう)。
「防人(さきもり)に発(た)ちし朝明(あさけ)のかなと出(で)に…」(万3569)。
この語は「金門」すなわち金属製の門(あるいは、それを一部に用いた門)というわけではありません。古代において、金属という貴重なものを、ましてや庶民が、そのような用い方をするとは思われません。もちろん、金属製や金属のように固い門や戸を「かなと(金門・戸)」と表現する一般的表現は可能です。