「か」や「な」の感嘆性・詠嘆性(それによる「かな」の感嘆性・詠嘆性)、に関しては、たとえば「まことにそうかな」と言った場合、「まことにそうかな?(ほんとにそうか?)」もあり得、その場合は「か」の気づきでは疑問・疑惑が発動し、「な」は客観世界への、相手への、働きかけ、呼びかけ(→「早く行きなさいな」)、になっているわけですが、「まことにそうかな」という感慨・感銘表現もあり、その場合「か」は理性的気づき確認表現が感銘を表現し(→「これがあの有名なAさんか…」)、「な」は、自己における客観的ななにごとかへのN音による均質性の表現(そしてA音による全的完成感の表現)、それによる確認的認了、感得、は詠嘆表現になります(→「あやめも知らぬ恋もするかな」「よきかな、よきかな」)。「ほんとにそうだな」なども、本当にそうなんだな、と相手に確認する表現にもなり得、本当にそうだ…と納得、感銘する表現にもなり得ます。
その昔、この「か」と、ただ溢れる思いを表現するような「も」による「~かも」という表現がありました→「いやなつかしき梅の花かも」(これは後世で言う、そうかもしれない、の「かも」ではありません)。この「~かな」はそれを受け継ぐような表現です。ただ、「~かな」の方が表現は客観的です。
「よくたまれるみづかな(よく溜まれる水かな)」(『常陸風土記』)。
「…初雁の今朝鳴く声のめづらしきかな」(『古今集』)。
「あやめも知らぬ(何も見えない、何もわからない)恋もするかな」(『古今集』)。
「よきかな、よきかな」。
「『御乳母(おんば)どんは芝居よりは面白(おもしれ)へ事があるだろう』『何があるもんかナ』」(「滑稽本」『浮世床』)。