◎「かてに」

「かてぬに(克てぬに)」。動詞「かて(克て)」は限界たる域を維持すること、自己を維持すること。「ぬ」は否定。「かてぬに(克てぬに)→かてに」は、何かに自己を維持できない状態にあること、なにかをしきれない(つまりできない)ことを表現する。たとえば、A・Bが動態で、「AかてにB」と言った場合、動態Bは動態Aを維持できない。

「吾はもや安見児(やすみこ)得たり皆人の得かてにすと云ふ安見児(人名)得たり」(万95:動態「す(為)」は動態「え(得)」を維持できない。得ることがない。すべての人が「得られない(得ることに自己を維持できない)」という安見児。誰も皆が得られないという安見児を得た)。

「うぐひすの待ちかてに(迦弖爾)せし梅が花…」(万845:鶯が待ちきれなくなっている梅の花…)。

「筑波嶺(つくはね)の嶺(ね)ろに霞(かす)み居(ゐ)過(す)ぎかてに(可堤爾)息(いき)づく君を率(ゐ)寝(ね)てやらさね」(万3388:そのまま過ぎることができない状態で息づく。「やらさね(夜良佐禰)」は「やはらさね(和らさね)」か。「やはし(和し)」の自動表現「やはり(和り)」。それに尊敬の助動詞「し」がついて「やはらし(和らし)」。それに、『万葉集』冒頭の歌の「告(の)らさね」にもある、何かを勧め促す「ね」がついて「やはらさね→やらさね」。そんな思いになっているなら(ここへ来て)和らぎなさいな、のような歌。この歌は、あの人を連れて来て寝てあげなさいな、のような解釈がなされています。寝ておやりなさいよ、ということでしょうか。寝(ね)やる、寝る動態に放任状態になる、は古代でもあり得ますが、寝てやる、という表現は奈良時代にあるのでしょうか。また、「~てやる」という表現は、平安時代でも「知らず顔にてくれてやらむと」(『落窪物語』)のような、動態をそのまま放任するような、粗雑な動態を表現します。これは現代でもそうです→「お母さんに言ってやる!」。「寝てやる」という表現は平安時代でもないと思います)。

この「かてに」は「がてに」と意味は酷似しています。

 

◎「がてに」

「ゐかてぬに(居克てぬに)」。「ゐ(居)」はある状態にあること。たとえば「待ちがてに」は「待ち居克てぬに(まちゐかてぬに):待っていることに自己を維持できない状態で・待ちきれず」の意。歴史的には「かてに」(→「かてに」の項)がまずあり。そして「ゐかてに→がてに」がその意味強意として生じたということでしょう。「かてに」と「がてに」は事実上ほとんど意味は変わりません(「~がてに」の方がそうあることにいられない意味合いは強いですが)。

「春(はる)されば我家(わぎへ:わがいへ)の里(さと)の川門(かはと)には鮎子(あゆこ)さ走(ばし)る君(きみ)待(ま)ちがてに(我弖爾)」(万859:もう待っていられない様子で)。

「七人、紅の涙を流して惜しむ。俊蔭行きがてにして帰る」(『宇津保物語』:行くことができない様子で)。

「うき世には門(かど)させりとも見えなくになどか我が身の出でがてにする」(『古今集』:)。