『万葉集』(3432)に「吾(わ)をかづさねも(和乎可豆佐禰母)」(文末の「も」は詠嘆)という表現があります。「かづし」はこの「かづさね」が動詞「かづし」に何かを勧める助詞「ね」(動詞の未然形に接続する)がついたものと解されたことにより有るとされる動詞です。誘う、の意か、等言われつつ、基本的には、語義未詳、とされます。この「吾(わ)をかづさね」は「吾(わ)をかちふさね(吾を搗ち伏さね)」でしょう。「搗(か)ち伏(ふ)し」は突いて塞ぐということであり、性行為の挿入を表現したもの。「(私を)搗(か)ち伏(ふ)しなさいな」と言っているわけです。これは古代の東国の歌であり表現があけすけなのです。この歌は「かづさかずとも(可豆佐可受等母)」と続きます。これは「かちゆさかずとも(搗ち揺(ゆ)さかずとも)」。「ゆさき(揺さき)」は揺らすこと。「ゆさゆさ」という擬態の動詞化です。つまり、ゆさゆさ揺すらなくとも、の意(この部分も「門(かづ:「かど」の方言ということらしい)し開(あ)かずとも」といった解釈がなされています。門がけして開(あ)かなくても私を誘いなさいな、は歌として意味不明でしょう)。

 

◎その万3432あたりの歌三つ(すべて東国の歌)。

・「足柄(あしがり)の安伎奈(あきな)の山(やま)に引(ひ)こ舟(ふね)の後(しり)引(ひ)かしもよここばこがたに:阿之我里乃 安伎奈乃夜麻爾 比古布禰乃 斯利比可志母與 許己波故賀多爾」(3431)。

「あしがり(足柄)」は地名たる「あしがら(足柄)」。万3369その他にも例があります。方言とも言われますが別名や正式名の可能性もある。「あきな」や「な」という山が現実にあるのか、あるとすればどこなのかは不明。この「あきな」には「飽き汝」(私に飽きたあなた)がかかっているでしょう。「ひこ(引こ)」は「ひく(引く)」の方言変化。万3423には「ふろよき(布路與伎)」という表現があります。これは「ふるゆき(降る雪)」。問題は「山に引く舟」ですが、これは一般に、山で舟を作り、引いて山から降ろすと言われます。しかし、山で舟を作るのは不自然でしょう。これは山に舟を引いて登るような思いだ、ということでしょう。「しり(後)」は背後を意味する。舟を引いて山に登り力尽きそうなのです。「引(ひ)かしもよ」は「ひかすいもよ(引かす妹よ)」。「す」は尊敬の助動詞「し」の連体形。いくら前へ進もうと思っても後ろへ引く妹よ、を尊敬表現で言っている。「ここばこがたに」の「ここば」は際限なく何かが沸いてくるような思いを表現します→「ここば愛(かな)しけ」(万3517:東歌)。「こがたに」は「来(こ)がたに」や「娘(こ)がたに」と解されていますが、この「こ」は「故」という甲類表記であって「来(こ)」ではない。「来(こ)」(「来(き)」の命令形)は「己」や「許」のような乙類表記になるはずです。正宗敦夫の『万葉集総索引』には「来(こ)」の万葉仮名表記に「故」もありますが、それはこの万3423の「故賀多爾」を「来がたに」と、万3431の「爲故爲(しこし)」を「し来し」と、勘違いしたか権威あるとされる学者がそう言っていたのをそのまま信じたかによるもの。万3431の「爲故爲(しこし)」は「為越し」。この万3369の「こがたに(故賀多爾)」は、「小肩に」でしょう。私の小さな肩では担い引ききれない。力尽きそうだ、ということ。全体は、(女の)心が離れていってしまっている大切な女性を思っている歌。

 

・「足柄(あしがり)の我(わ)を可鶏(かけ)山(やま)のかづの木(き)の我(わ)をかづさねもかづさかずとも:阿之賀利乃 和乎可鶏夜麻能 可頭乃木能 和乎可豆佐禰母 可豆佐可受等母」(3432)。

これは上記の歌。「可鶏(かけ)山(やま)」という山があるのかどうかは不明ですが、我(わ)を心にかけ、という表現はかかっています。「かづの木」は、ヌルデ(白膠木)ともいわれますが、「かぢ(梶)」でしょう。この語の音(オン)は「かづ」に成り得る→「かぢ(梶)」の語源(4月3日)。この木は紙の材料にもなり、打って繊維をほぐす。つまり「かち(搗ち)」する。

 

・「薪(たきぎ)伐(こ)る鎌倉山(かまくらやま)のこだる木(き)を松(まつ)と汝(な)が言(い)はば恋(こ)ひつつやあらむ:多伎木許流 可麻久良夜麻能 許太流木乎 麻都等奈我伊波婆 古非都追夜安良」(3433)。

問題は「こだる(許太流)」ですが、これは「ことはる(「こ」と張る)」であり「伐(こ)り」の「こ」と「来(こ)」(来(き)の命令形)がかかりつつ、「こ」と張(は)る、音響的に「こ(来)」とあらわす。その「こ(来)」とあらわしている木をあなたが「まつ(松・(私を)待つ)」と言ったら恋しく思いつづけているだろうか(こんなに恋ひつづけなくてすむのに、楽になれるのに、ということでしょう。恋ひ続けていたいから来いと言ってくれない方がいいわ、という歌とは思われません)。