「かたはり(「方・型・形」張り)」。「かた(方・型・形)」は、「『あれ』は」とあること、理想的な(想的にそれたる)あり方があること(理想的な(想的にそれたる)あり方がある、とは、それ、たる完成感、それゆえの存在感、があるということです)、を表現する。「はり(張り)」は情況的・表面的・平面的感覚が感知され現れること。すなわち、「かたはり(「方・型・形」張り)→かたり」は、想的な完成感・存在感のあるそれを情況的・表面的・平面的感覚感をもって現す、また、現した(または、~が現れる、また、現れた)こと。それを現し伝える方法は見せるか聞かせるのですが、なぜそれが一般に言語活動を意味するのかというと、その心情的動揺・思いや過去の事情などを現し人に伝えるには人にはそれしか方法がないからであり、それが人にはあったからです。すなわち「かたり(語り)」は客観的に「それ」を現す言語活動をすること。芸能事として音楽性や調子を帯びることもあります。その、「『あれ』は」とあること、に虚偽があったり、それを伝達することにより錯誤に陥らせる意図がある場合は「騙(かた)り」 (これは江戸時代以降の用法と思われます)。ちなみに、同じ言語活動でも「いひ(言ひ)」は言語を客観世界へ進行させること。

「…聞けば哭(ね)のみし泣かゆ 語れば心ぞ痛き…」(万230:これは「志貴親王(しきのみこ)の薨(みまか)りましし時、作れる歌」という前書きのある長い歌の一部。「志貴親王」は天智天皇の第七子)。

「鳰鳥(にほどり)の息長(おきなが)川は絶えぬとも君に語らむ言(こと)盡(つ)きめやも」(万4458)。

「この行長(ゆきなが)入道、平家物語を作りて、生仏(シャウブツ)といひける盲目に教へてかたらせけり」(『徒然草』:『平家物語』の作者に関しては他説もあります)。

「KATARI, -ru, -tta, カタル, 騙, t.v.  To impose on by false representations, to dupe, to extort money by trickery, to defraud(虚偽の表現に乗じること、策略、詐欺によって騙すこと、金をとること).  Hito wo katatte kane wo toru,………Hito no namaye wo ―」(『和英語林集成』)。

 

「男衆もかたって仕事する」、のような、一緒になる、のような意味の「かたり」という方言もあるのですが、これは「かた(片)」の動詞化でしょう。全体の一部になることです。