「かたはらいたし(堅腹痛し)」。『和名類聚鈔』(934年頃)に「脅肋 …和名加太波良保禰(かたはらほね) 身傍之間也…」という記述があります(『色葉字類抄』(1177-81年)にも「脅 ケフ カタハラホネ」とある)。「脅肋(ケフロク)」とは、肋骨(ロッコツ)、です。すなわち肋骨を「かたはらほね(加太波良保禰)」と言った。「かたはら」は「堅腹」でしょう。「傍(かたはら)」とすることも「肩(かた)」から「腹(はら)」までとすることも奇妙です。腹が堅くなる部分の骨、の意。ちなみに、『和名類聚鈔』に「無奈保禰(むなほね)」という語もありますが、これは「鳩尾骨」と書かれています。鳩尾(みぞおち)の骨でしょう。すなわち、肋骨(ろっこつ)、の和名は、「あばらぼね(粗骨)」という俗名と、「かたはらほね」なのです。「かたはらいたし」すなわち、この骨のある「かたはら(堅腹)」が痛い、とは、肋骨のある部分あたりが痛い、ということであり、その身体部分は生活中心的には、背ではなく、胸(むね)であり、それは、胸が痛い、と同じような意味になります。ではなぜそう言わないのか。それは、「かたはらいたし」においては、ただ胸が痛むのではなく、「旨(むね)」が、言動や事象の趣旨が、その社会的な客観的現れが、痛ましいからです。「こと(事・言)」たる「むね」が痛い、という意味で「むね(胸)」の異称たる「かたはら」が痛い。ただ「胸(むね)痛(いた)し」ではなく、事象の旨(むね)たる胸(むね)が痛むことが「かたはらいたし」。たとえば、ある人が真摯に、熱心に何事かをしていたとしても、その人が自分がしていることが世の中でどういう意味や価値があるのかを知らなかった場合、それを知っている人が見ればその「旨(むね)」は痛ましく、その人をそのやっている事へと動かす中枢動因は痛ましく、それは「かたはらいたい」。その場合、自分の事象の旨(むね)たる胸(むね)が痛むのは他者の評価によりそれが傷つけられるからであり、「かたはらいたし」はその虞(おそれ)が痛みと、危険警告と、なっていることを表現する(下記の例)。また、この語は、後世、笑いすぎて片腹(横腹の一方)が痛い、という冗談のような用い方がなされたらしく、相手を軽蔑しつつ笑う、嘲笑する、という意味でも言われる(たとえば芝居などで『お前ごときがこの南郷を斬ろうとは、かたはらいたいわ』と挑発的に大笑いするような用い方の影響で、たとえば平安時代の、「かたはらいたし」の意味が現代ではわかりにくくなっている。平安時代のそれは「胸がいたい」とさほど意味は変わらない)。
「かたはらくるし(かたはら苦し)」という表現もある。これは痛いのではなく苦しい。「かたはらさびし(かたはら淋し)」という表現もありますが、これは傍(かたはら)が寂しい。側(そば)に誰もいない。
この語の語源は「傍(かたはら)痛(いた)し」が常識のようになっているわけですが、傍らの者が痛い、傍らにいると痛い、というその表現は、傍らにいなければ痛くないのか、ということ(この語は、人に聞かれたり見られたりしたら心痛する(聞かれたり見られたりしなければ心痛しない)、という意味ではありません)や、自覚無しに恥ずかしいことをしている人などを見て「痛(いた)い」と表現することは、すくなくも平安時代には、不自然であろうという問題があります。
「…左府大怒 吐無量悪言 言及主上 聴者寒心 ……極有片腹痛御詞 云々」(『小右記』)。
「かたはらいたきもの。よくも音(ね)弾(ひ)きとどめぬ琴を、よくも調べで、心のかぎり弾きたてたる。……才(ザエ)ある人の前にて、才(ザエ)なき人の、ものおぼえ声に人の名など言ひたる。…」(『枕草子』)。
「簓江(ささらえ:娘たる人名)はものを憐むのこころふかければ、父があしき行ひの今にはじめざる事にはあれど、わきて傍痛(かたはらいた)くおぼえ…」(「読本」『椿節弓張月』)。
「すのこはかたはらいたければ、南のひさしに(源氏を)入れたてまつる」(『源氏物語』:源氏が簀子(すのこ)にいる状態にしたのは自分なわけですから、これは危険警告系の「かたはらいたし」)。
「火さへあかくてかたはらいたくわりなきにとみに動かれぬを…」(『狭衣日記』:これも自分を見る人の印象を気にした危険警告系)。
「蟹(かに)の分(ブン)として(蟹なんぞの分際で)某(それがし)が行法(ギャウボフ)を妨げんとはかたはらいたいことではないか」(「狂言」:これは蟹を嘲笑している)。