◎「かたはら(脇・傍)」の語源

「かたはら(片端ら)」。「ら」は情況やある情況にある何かを表現します。何かに視点を置き、そこから相対的に一方へ偏した(それゆえに不完全な部分をなし独立性をなす)部分域・情況。そうした情況にあるもの・こと。たとえば「Aのかたはら」と言った場合、AであるがAとして不完全な、Aでなくなりそうな、Aから外れそうな、域にあり、それだけではAとは言えない(つまりAではない)不完全域を言い、Aであることが認められていることを意味する用いられ方と(1)、Aではないことが認められながら不完全にAであること(つまり、Aである、と言ってもいいほど近接していること)を意味する用いられ方(2)があります。

「わがのぼるは、いとあやふくおぼえて、かたはらに寄りて高欄おさへなどして行くものを」(『枕草子』:これは(1)であり、道に属している、そこからはずれそうな、その部分域に寄った。つまり、道の中央を行ったのではなく、その端の方を行った)。

「『…宮のつい(つき)並ばせ給へば花のかたはらのときは木(常盤木)のやうに見え給ふこそ…』」(『宇津保物語』:これは(2)であり、その木は花と一体化しているほど近接している)。

「仕事のかたはら小説を書き」(仕事の、仕事として時間的に不完全な部分域に、小説を書く(1))。

「この家のかたはらに檜垣(ひがき)といふものあたらしうして」(『源氏物語』:これは「いへ(家)」をどう考えるかにより(1)なのか(2)なのか決まる。それが建造物を意味するならそれに近接する域。それが生活域ならそれに属すその端の周辺域)。

「かたはらがほ(傍顔)」は傍(かたは)らから見た顔。横顔。

「かたはらなし(傍無し)」は近接し並ぶものがない。ならぶものなく優れている。

 

◎「かたひ」(動?)の語源

この語は動詞として辞書にもあり、語義未詳、とされたりもしている語なのですが、「かたはむかも(加多波牟可母)」という『万葉集』の歌(4081)の表現にある「かたはむ」を動詞「かたひ」に助動詞「む」のついたものと解したことによりあるとされた語たる動詞。「かたはむかも」は「かたおはむかも(片負はむかも)」。(誰か片思いの)もう片一方を負ってくれないものだろうか、まぁ…(まぁ、は嘆声)、の意。つまり、この動詞はないということ。

「片思(かたおも)ひを馬にふつまに(布都麻尓)負(お)ほせ持(も)て越辺(こしべ)に遣(や)らば人かたはむかも」(万4081:「持(も)て」は「持(も)ち」の他動表現。「ふつま」は、捨(ふ)て馬(うま):いらない馬・帰ってこなくてよい馬。「ふとうま(太馬)」だという人もいますし、「ふつまに」は、ことごとく・すっかり、の意だという人もいます。全体の意味は、片思いをいらない馬に負わせて越の国の方へやったら誰かその「かた(片)」を負ってくれるだろうか、ということ。「かた」には肩(かた)がかかっているのかもしれませんが、誰かが「かた(片)」を負ってくれたらそれは両想いになり、「片想ひ」の荷はなくなります。これは坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が当時越の国にいた大伴家持に贈った歌だそうです。歌の前書きにそう書かれています。坂上郎女は大伴家持の妻・坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)の母。これとともに贈られたというこの前の万4080は、私は恋で死にそうよ、という歌。大伴家持が越中守に任ぜられたのが746年6月。そのころ坂上大嬢が大伴家持の正妻というような立場になっているかどうかは微妙ですが、たぶんなっていない。この歌に続く大伴家持の返事の歌たる万4082と万4083は、天にいるような人に恋されるなんて「生けるしるし」があるというものです、というものと、「常(つね)の恋」がいまだ止(や)んでいないのにさらに恋が来て担(にな)えるだろうか(無理ですよ)、というもの。「常(つね)の恋」は坂上大嬢への思いでしょう)。