◎「かたくり(片栗)」
「かたこくり(固こくり)」。「こ」の無音化。「こくり」はうなづく状態を表現する擬態。固まったようにいつもうなづいている(つまり、花茎が曲がっている)花、の意。下を向いた花の咲き方の印象によるもの。語源としては、この植物の地下鱗茎部が栗の実の片割れのようだから、ということが相当に一般的に言われますが、この植物の地下鱗茎で栗を考えるのは相当に無理があるように思われます(下記※参照)。
万4143にある「堅香子之花(かたかごのはな)」はカタクリのこととも言われます。もしそうだとすると、「かたかきほ(肩掛き穂)」でしょうか。その花茎を「ほ(穂)」と表現した。籠や荷を背負うための、先の曲がった「かたかき(肩掛き)」という道具があったのかもしれません(前記のように、この花の花茎は肩に掛けでもするかのように曲がっているから)。ただし、もしそうだとしても、「堅香子之花(かたかごのはな)」がカタクリであるとはかぎりません。スミレの花茎も同じように曲がっており、それはスミレ(菫)かもしれない。この万4143の前後を見れば、これが春の歌であることは確かです。カタクリの花はそんなに一般的にある花でもなく、むしろ万4143の「堅香子之花(かたかごのはな)」は菫(すみれ)と考えた方が自然でしょう。いずれにしても、辞書には「堅香子(かたかご)」がカタクリの古名と書かれていますが(鎌倉時代の仙覚の説)、確証があるわけではありません。
この植物の根(地下茎)から採られる澱粉は料理に用いられ「かたくりこ(片栗粉)」という。しかし現在はこれは多くがジャガイモの澱粉により代用されています。植物の一種の名。
(参考)「もののふの八十(やそ)をとめらがくみみだる寺井のはたの堅香子之花(かたかごのはな) :物部乃 八十𡢳嬬等之 挹乱 寺井之於乃 堅香子之花」(万4143::三句「挹乱」は一般に「くみまがふ」と読まれていますが、井と花を汲みまがふでしょうか。井を汲み、水がかかりなどし花が乱れるということでしょう(「みだる(乱る)」は「みだれ(乱れ)」の他動表現「みだり(乱り)」(四段活用)の連体形)。また、四句「寺井之於乃」は「てらゐのうへの」と読まれていますが、井の上(うへ)の花、の意味がよくわかりません。これは井の周囲を「於」(~における、であり、関係があることを意味する)という字で表現したもので、読みは「はた(端)」でしょう)。
(カタクリの地下鱗茎の写真があるサイトのURL)
https://kinomemocho.com/sanpo_katakuri.html
カタクリを食す (kinomemocho.com)
◎「かたくな(頑な)」
「かたけいな(片気否)」。「かた(片)」は完全性が欠けていること→「かた(片)」の項(3月14日)。「かたけいな(片気否)→かたくな」は、完全性が欠けた「け(気)」による(周囲に対する)否定が感じられること。反省能力が失われた愚かさが感じられたり、誤った状態になりながら反省能力が失われてしまっていたりすることを表現する。
「此(コ)の事(コト)は天下(アメノシタノ)難事(カタキコト)にあれば、狂(タブ)れ迷(マド)へる頑(カタクナ)なる奴心(ヤツコノココロ)をば慈悟(メグミサト)し正賜(タダシタマフ)べき物在(モノナリ)と…」(『続日本紀』宣命)。
「総じて親の子を思ふほど頑(かたくな)なるものは候はじ」(「謡曲」)。
「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは………ことにかたくななる人ぞ、『この枝かの枝散りにけり。今は見所なし』などはいふめる」(『徒然草』)。
「(絵や文字の)かたくななる筆様」(『徒然草』:欠落感があり完全性が感じられる安定感がなく、しかもそこに反省能力が失われてしまっている印象を受ける、ということでしょう)。
「かたくなし」というシク活用形容詞もある。これは「かたくなああし」。「ああ」は感嘆。