◎「かし(杭・河岸)」
K音の交感とU音の動態感により侵入的な動態感の生じた「く」があり、それによる「くひ(交入ひ・食ひ)」という動詞がある。それにより他動感・使役感を生じさせた「くはし→かし」。くはせたもの、そのようにして立てたもの、杭(くひ)や柱のようなもの。それが「かし」。この杭のようなものは海や川の岸近くに立てられ、そこに舟をつなぎ、そのあたりが船着き場になった(杭の上に板が置かれ、ある程度、徒歩で、水上へ行けるような施設も作られただろう)。「うをがし(魚河岸)」の「かし(河岸)」は船着き場、荷上げ荷下ろし場たるこれに由来します。
「舟泊(は)てて かし(可志)振りたてて 廬(いほ)りせむ…」(万1190:杭を打ち立て、舟を繋ぎ、上陸しそこで仮宿する)。
「戕牁 贓柯二音漢語抄云加之 所以繋舟也」(『和名類聚鈔』)。
「河岸 かし 江戸にて、かしといふ」(『物類称呼諸国方言』)。
◎「かし(枷)」
「はかし(履かし)」。「は」の脱落。(自由に動けないようにするために)人に履(は)かす(装着する)もの。「かせ」とも言う。
◎「かし(樫)」
「はかしひ(努果強ひ)」。「は」の脱落。努力の成果に強ひ(強制された苦労)があるもの、の意。有用だが堅く、処理に多くの努力を要する。樹木の一種の名。この木は、古来、堅いことで有名。
◎『万葉集』歌番9の読みと意味
「いつかし(厳樫)」(厳なる樫)という表現で「かし(樫)」が登場する歌として『万葉集』歌番9をとりあげます。この歌は、特に一句・二句が、古来、難訓と言われ、その作者・額田王(ぬかたのおほきみ)は著名でありながら定まった読みはありません。
原文:「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立為兼五可新何本」
解説
・冒頭の「莫囂圓」(囂(かまびすし)きこと莫(な)かる圓(ヱン:丸いもの)・静かで、穏やかで、丸いもの)とは月(つき)を意味する。すなわちこれは「つき(月)」と読む。
・次の「隣之大相」は、「隣」には「つれ(連れ)」の意があり、月が連れる、月が伴う、「大相」(大いなる相(ありさま))、とは夜(よる)を意味する。しかし「よる」とは読まない。この歌は夜という不安・不吉な世界を言いもせず書きもせず表現しようとしている。月が伴うそれ、という意味で、「大相」は「とも(伴)」とよむ。「隣之大相」は「つれしとも(連れし伴)」。
・次の「七兄爪謁氣」は「なえそかけ」。「七」を「な」と読むことは、字音ではなく、意ですが、この読みは『万葉集』には他に例があります(たとえば万506)。「兄」を「え」と読むことも字音ではありませんが、これは「えと(干支)」の「え」であって、字音のような状態になっています。万213には「百兄槻木(ももえつきのき)」といった表記もあり、「諸兄(もろえ」のように、人名にもある。「そ」は字音。「爪」は漢音「サウ」。その音は『説文』には「側絞切」とあります。「そ」と読んでも不自然さはないでしょう。「謁」は「謁見(エッケン)」の「エツ」ですが、「曷」は漢音「カツ」でしょう。「曷」の音は『廣韻』には「胡葛切」とある。偏の「言」は言語活動を表現し、これが「口」なら「喝(カツ)」であり、脅し叱るように大きな声を出すことでしょう。この「謁」を「か」と読むことに不自然さはないと思われます。「氣」を「け」と読むことも字音ではありませんが (「ケ」を「氣」の呉音とする説もある)、この読みは常識的なものでしょう。その場合、「なえそかけ」の「なえ」は「萎え」であり自分を維持している構成力が空虚化し衰力化すること。「そ」は指定強調的助詞。「かけ」は動詞「かき(書き、その他)」の已然形であり、「かき(書き、その他)」は現象としての現れを表現する(「恥をかき」などのそれ)。「そ+動詞已然形」の構文は「こそ+動詞已然形」のようなものであり、~でこそあれ、ほかではない、必ずそうなる、を表現する。つまり、「なえそかけ(萎えそかけ)」は、萎えを現しこそすれ、ほかの事態はあり得ない。必ず萎える、ということであり、萎え、無力化するのは上記の「月連れし伴(とも)」であり、夜です。それが必ず萎える、無力化する、とは、必ず夜は明けます、ということ。
・続く三句以下は、「吾(わ)が背子(せこ)が射立(いた)てなしけむ厳樫(いつかし)が本(もと)」。「射立て」は次々と矢を射かけること。「吾が背子」が神聖な厳樫(いつかし)のもと、不吉なものの力を徹底的に矢を射かけ封じ込めてしまったことでしょう、だから安心してください、ということ。「吾が背子」が具体的に誰であるのかは不明ですが、これは額田王(ぬかたのおほきみ)の歌であり、天智天皇か大海人皇子(天武天皇)かのどちらかであることは確かです。
全体の歌意としては、この歌は、幼い健王(たけるのみこ)を失い。うちひしがれ、つねに暗い夜の世界へと入っていくような状態になっていた老いた斉明天皇(女性)を額田王が慰め励ました歌。表記の仕方は特異なものですが、これは、天皇にさしだすものとして、凝りに凝った書き方がなされたということでしょう。とりわけ、不安な「よる(夜)」を言いもせず書きもせず、そして明るく穏やかな月で、それを表現している。そしてその不安な夜の力を神聖な力により殲滅し斉明天皇を安堵させる。