「かはしはすさぎ(『彼は…』為挟す鷺)」。「かはし(『彼は…』為)」は、『あれは…』と彼方を思いそれを目指すような状態になること。「はす(挟す)」に関しては「はさみ(挟み)」「はし(箸)」の項。この「はし(挟し)」が何かの両端に触れる(両端を繋ぎ一体化させる)ことを表現する。「かはしはすさぎ(『彼は…』為挟す鷺)」とは、『あれは…』と憧れるように彼方を(織姫を)見、そこをめざす橋をなす鷺(さぎ:鳥の一種)です。七夕の夜、この鳥が無数に現れ橋をなしそれにより彦星は(すくなくとも日本では彦星が)天の川を渡ったそうです。つまりこれは空想の鳥。ただし、あれが鵲(かささぎ)とされる鳥は現実にいます(別名、かちがらす。この名は鳴き声に由来するといわれますが、羽色に由来するものでしょう。「かち(褐)」はほとんど黒と見える藍色)。現実に「かささぎ(鵲)」(下記※)と呼ばれている鳥はカラス科であり(形態は小さめのカラスであり、サギではない)、元来、日本にいたものではなく、何らかの理由により中国大陸方面から移入されたのだろうと言われています。その鳥がなぜ「かささぎ」とよばれたのか(なぜ織姫と彦星を会わせる鳥になったのか)と言えば、羽を広げ空を行く姿が(平安調の)そんな天女のような使いを思わせたからということでしょう。ちなみに、「台湾藍鵲」のような、白黒以外の美しい「鵲」もいます。
『万葉集』に、七夕の歌はありますが、「かささぎ(鵲)」の歌はない。『万葉集』ではほとんどが彦星が舟で川を渡ります。中国には古くから鵲(シャク)が橋をかける話があるようですが、それがいつごろ日本に伝わっているのかは明確にはわかりません(話が伝わり、想像の世界でそれは「かささぎ」と呼ばれ、その後、趣味のある人が、中国で、七夕の橋になったと言われている鳥を手に入れ、鳥籠にでも入れて持ってきた、ということかもしれません。それも相当後期に。その生息地は江戸時代でも九州の極めて限定的な地域です)。また、中国では女(織姫)が橋を渡るのに対し、日本では男(彦星)が渡る。「天の河 扇の風にきりはれて そらすみわたる 鵲のはし」(『拾遺和歌集』)。
※ 「鵲(漢音、シャク。呉音、サク)」は『本草綱目』(1590年)に「鵲烏属也大如鴉而長尾,尖觜黑爪,綠背白腹」とあり、「鵲」というこの字は「昔(漢音、セキ。呉音、シャク)」の音がその鳴き声を表すことによります。その鳴き声は現実には「ガーガーガー」と「ジャージャージャー」を混ぜ合わせたような声。つまり、美声ではない。姿も、そこらにとまっているだけならさほど目にとまらない。ただ、空を舞う姿がふと天女を思わせる。