「かきてゐ(垣きて居)」。「て」は何らかの動態状態や形容状態にあることを表現する助詞(→「起きてゐる」)。「かき」は「垣」(1月24日)ですが、これが動詞として作用している。動詞化したそれの意味は境を、内と外の境を、画す(「画(カク)す」は、境を現すこと)こと。表現主体において内と外の境を画して居るその居のあり方、という表現が境界を画したその内にあること、その内、を意味した。つまり、ある主体が自己と環境との境を画した場合、その主体はその画された域の内部にいる。すなわち、「かきてゐ(垣きて居)→かきつ」は垣(かき)の内側域。同じ意の「かいと」という表現もありますが、これは「かきと」の音便であり、「かきと」は「かきてう(垣きて居)」。「う(居)」は「ゐ(居)」の終止形。また、「かいと」は、垣(かき)の外(そと)、も意味しますが、これは「う(居)」により表現が客観的に一般化しており、「かきてう(垣きて居)→かいと」が垣の内側域たる界も外側域たる界もどちらも意味したということ。
この「かきつ(垣内)」という語の語源は「かきうち(垣内)」とするのが一般です。
まったく別語で乞食を意味する「かいと」もあります(『物類称呼諸国方言』で、これは大阪での語、と言っています)。これは「かきひと(欠き人)」の音便と「ひ」の子音脱落でしょう。何かを欠いてしまっている人、ということ。
「我が背子が古きかきつ(可吉都)の桜花 いまだ含(ふふ)めり一目見に来(こ)ね」(万4077:今は自分が住んでいる宅に以前住んでいた人に送った歌)。
「吾妹子(わぎもこ)が家のかきつのさゆり花…」(万1503)。
「我(わが)背子(せこ)が垣内(かきつ)の谷に……はろばろに鳴くほととぎす…」(万4207:これは、あなたの生活領域の、といった意味でしょう。現実に垣があり、その内側に谷があるとも思われません)。