この「か」はK音の交感による気づき感(→「か(助)」の項)とA音の情況感により客観的な何かが自主動態的に交感を生じさせていることを確認表現し(確認表現、とは、活用語尾K音の交感による気づき確認ということ)、この「かき」は客観的対象交感、客観的事象交感・物的交感を表現します。

この「かき」はE音の外渉感による表現へと変わり「かけ(懸け)」の下二段活用に変化します。

 

「甑(こしき)に蜘蛛の巣かきて」(万892:「かかり」と同じような意味で、蜘蛛の巣を主体にした自動詞のような表現になっている)。

「馬にこそふもだしかくもの」(万3886:褌(ふんどし)をかける)。

「大君の八重の組垣かかめども……かかぬ組垣」(『日本書紀』歌謡90:垣(かき)をかき)。「大船共を並べて矢倉をかきて」(『太平記』:櫓(やぐら)を組み構築し)。

「二の矢をかかむとするほどに…」(『今昔物語』:矢を弓にかき)。

「御装束も引き乱りて車さし寄せつつ人にかかれて乗り給ふをぞ…」(『大鏡』:人や駕籠をかき。対象を自己に交感を生じさせる場合他動表現化したE音にはなりにくい。人をかけ、や、駕籠をかけ、にはなりにくい)。「駕籠舁き(かごかき)」。この意味で使われている「かき」は、ひとを担(かつ)いで都合のいいところへ連れて行ってしまう、という意味で、だます、のような意味でも言う。「わっちらだって、くがい(苦界)の身だから、客によって上手をつかったり、かいてみたりする事もありやす」(「洒落本」)。

「伊勢の野の 栄枝(さかえ)を五百(いほ)経(ふ)るかきて(柯枳底) 其(し)が盡(つ)くるまでに…」(『日本書紀』歌謡78:五百年を経るそれくらいの時間をかけて。つまり時間をかき。事象(時間経過という一般的事象)と事象(自分の社会的生態という個別的事象)の交感。これも後には、時間をかけ、という言い方をするようになる)。

「二百近い給分をただの女子(をなご)にかこうか」(「浄瑠璃」:金をかき。後には給分をかけ、金をかけ、という言い方になる。価値物・価(あたひ)のあるものと事象(女子の社会的生態)との交感)。

「胴取りゃくさる。張ればかかれる。もう今夜の元手がない」(「浄瑠璃」:金をかき(賭き)。価値物・価(あたひ)のあるものと結果期待をともなう事象(サイコロを振る等)との交感)。