◎「かかり(懸かり・掛かり・罹り)」(動詞)

「かけ(懸け)」の語尾A音化・A音化による情況化の情況になることが表現されている(「かけ(懸け・掛け)あり(有り)」と考えてもいい)。これが自動表現になる。つまり「かけ(懸け)」の自動表現(「かき(懸き・掛き・舁き)」はもう少し後に触れることになると思います)。何かに交感を(何かとの関係的な交(まじ)はり感・交流感を)生じさせた情況になること。この動詞は非常に応用が広い→(藤の花の)松にかかりたる、水がかかる、罠にかかる、気にかかる、時間がかかる、エンジンがかかる、(買うのに)一万円かかる、手がかかる、お目にかかる、病気にかかる、ののしりにかかり(罵りを受け影響され)、神がかり、(物に)寄りかかる、かかって来い(ここには「かけ(駆け)」の影響があるかも知れない)、行きがかり上そうせざるを得ない、係(かかり)の者に尋ねてください……。動態の交流感はあるが動態は始まっていない状態も表現する→行きかかって。

 

「まなかひに(視界交差して) もとな(むやみと)かかりて 安眠(やすい)しなさぬ」(万802:「なさぬ(奈佐農)」は「ね(寝)」の他動表現の否定)。

「つのさはふ石村(いはれ)の山に白たへにかかれる雲は皇可聞」(万3325:五句の「皇可聞」は縦書き「白王」を「皇」と読んだもので、「白(しろ)き王(みこ)かも」でしょう。一般的には「すめらみこかも」と読まれるているのですが、「すめらみこ」という言葉はあるのでしょうか)。

 

◎「かかり」(動詞)

「かはこはり(皮強り)」。皮膚が強(こわ)ばった、ごはごはした、状態になること。

「稲つけばかかる我が手を…」(万3459)。万3459のこれは偶発的な表現かもしれません。「あかがり(皸):別名、あかぎれ」という語の影響でしょう。この「かかり」という語は一般にアカギレになることと解されています。