◎「かがみ(鏡)」

「ひかはかみ(光努果見)」。語頭の「ひ」は無音化した。「ひか(光)」は光感を表現する擬態。「はか(努果)」は努力の成果、つまり効果、を意味します。「ひかはかみ(光努果見)→かがみ」は、光がもたらすその効果を見るもの、の意。光の反射効果があるものを言う。古くは、金属製の鏡が知れわたるようになるわけですが、水面であれ岩であれなんであれ、「かがみ」という言葉自体はそれ以前からあるでしょう。やがてそれが、金属製の、そしてさらに後には硝子製の、光の反射効果が強力なものが「かがみ(鏡)」と言われるようになる。

「AがBの「かがみ」」である場合、AはBのBとして発する光の効果を見るもの、普遍的に純粋なB、のような意味となる→「あっぱれ武士のかがみなり」(「歌舞伎」)。また「かがみ」はそのまま動詞化もします(下記)。

「此(こ)の鏡(かがみ)は専(もは)ら我(わ)が御魂(みたま)として、吾(わ)が前(まへ)拝(みゆ)る如(ごと)いつき(伊都岐)奉(たてまつ)れ」(『古事記』:「拝」は「いつく(斎く)」と読むのが一般のようです。しかし、前をいつく、や、前にいつく、という表現に違和感を覚えます)。

「…齋杙(いくひ)には鏡(かがみ:加賀美)をかけ 眞杙(まくひ)には眞玉(またま)をかけ…」(『古事記』歌謡90)。

「うへも、年頃御かがみにもおぼしよる事なれど」(『源氏物語』:帝も、この数年、鏡に自分を見てそう思うことだったが)。

「…見る人の語りつぎてて(語りつぎつ経と経) 聞く人のかがみにせむを 惜(あたら)しき(惜しむべき)清きその名ぞ…」(万4465)。

 

◎「かがみ(鑑み)」(動詞)

「かがみ(鏡)」の動詞化。「かがみ(鏡)」は光がもたらすその効果を見るものであり、その動詞化の意味は光がもたらすその効果を見ること、その光を体験すること。AをもってBをかがみ、や、Aにかがみ、等と言った場合、そのAが発する光の効果を体験し、それと他のBによる体験が比較されることになる。この動詞は基本的に上一段活用。

「他をもてわれをかへりみ、むかしをもていまをかがみるべし」(『正法眼蔵』:「むかし」がもたらすその光の効果をもって今を見る)。

「体にかかみても知らず、心にかかみても知らず」(『荘子抄』:体がもたらすその光の効果をうけても、心がもたらすその光の効果をうけても…)。

「いにしへをかがみ、いまをかがみる」(『今鏡』)。

 

◎「かんがみ(鑑み)」(動詞)

「かがみ(鏡)」の動詞化「かがみ(鑑み)」の音変化。この音変化は漢文訓読を行っていた人たちが重々し気な表現をしたということでしょう。

「(新田義貞が)竜神に向て祈誓し給ける。『伝奉る………臣が忠義を鑒(かんがみ)て、潮を万里の外に退け、道を三軍の陣に令開給へ』」(『太平記』)。

「現状にかんがみて現在の対策ではあまり効果は期待できないのではと…」。