「かきあひ(懸き会ひ)」。この「かき(懸き)」は他動表現。言葉(歌)をかけることをし人が(事実上若い男たちと女たちが。草地などで)会うこと。古くはそういう風習がありました。「かがひ(嬥歌)」は名詞でもあり、「うたがき(歌懸き)」とも言います。
「鷲の住む筑波の山の……率(あども)ひて 未通女(をとめ)壮士(をとこ)の 往(ゆ)き集(つど)ひ かがふかがひに(加賀布嬥歌爾) 他妻(ひとづま)に 吾も交(かが)はむ(吾毛交牟) 吾が妻に他(ひと)も言問へ 此の山を 領(うしは)く(原文は、牛掃)神の 昔より禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ………嬥歌者東俗語曰賀我比(「嬥歌」は東国の俗語であり、曰(いは)く、賀我比(かがひ))」(万1759:第十句「吾毛交牟」は、まじらむ、や、まじはらむ、と読まれていますが、かがはむ、でしょう。ここで扱っている動詞「かがひ」に意思の助動詞「む」がついている。歌をかけあふことが交流することであり、それが「交」の字で書かれた)。
「筑波嶺に会はむと云ひし子は 誰(た)が言聞けばか み寝会はずけむ 筑波嶺に廬(いほ)りて 妻無しに 我が寝む夜ろは 早も明けぬかも」(『常陸国風土記』:女の子は来なかったわけです(下記※))。
※ 上記『常陸国風土記』の歌は岩波書店の『風土記』(武田祐吉編)にあるものをそのまま写しました。しかし、実はこの歌は読みが定まっていない。「いひ(言ひ)」の項にもあるこの歌の原文とこのサイトでの読み・歌意をここにも書きます。
原文:「都久波尼爾 阿波牟等伊比志古 波多賀己等 岐気波加彌尼 阿須波気牟也 都久波尼爾 伊保利弖都麻奈志爾和我尼牟欲呂波 波夜母阿気奴賀母也」
読み:「筑波嶺(つくばね)に 会はむと言ひし娘(こ) はた彼(か)はこと(言・事) 聞けば彼(か)見(み)寝(ね) 明日は明けむや 筑波嶺に 廬(いほ)りて恋人(つま)なしに我が寝(ね)む夜(よろ)は 早(はや)も明けぬかもや」(「はた」は疑問・疑惑の表明。この「はた」部分の「は」と「明(あ)けむや」の部分の「あ」の表記は省略されている(表記に現れていない:「は」はなくても歌意は通じる)。「よろ」は「よる(夜)」の古代東国方言) 。
歌意:筑波嶺に 会うと言った娘(こ) はた、あれは「こと(言・事)」か? それを聞き呆然と彼方を見て寝(ね) 明日(あす)は明けるだろうか(夜明けは来るのか) 筑波嶺に (会う瀬のために苦労して準備して立てた)廬(いほり)に恋人(つま)なしに寝るこの夜は早く明けないものか…。つまり「会ふ」と言ったのに女の子が来なかったのです。「いひ(言ひ)」が「こと(言・事)」になる夜明けが早くこないか、ということであり、なかなか本質的です。ちなみに、古代では、若い男女が会う場合、男はホテルまで自分で作るような作業をしました。つまり、約束ができれば、良い場所を選び、草を刈ったり、廬(いほり)をたてたりし、準備を整えた。草を刈って全部準備したのに、いまさら嫌だなんてひどいよ、という歌も『万葉集』にはある→「万3479」。