「きはかげいり(際影入り)」。「きは」が「か」になり「げい」が「ぐ」になっている。「きは(際)」は、限界、の意。「かげ(影)」は、姿、や、様子、の意。とりわけ、水に映った姿のような、正体の判然としない霧の中のそれのような、想的なそれを意味する。「いり(入り)」は、驚き入り、寝入り、などのように、まったくその動態や心情になること。「きはかげいり(際影入り)→かがぐり」は、限界的姿・様子に入り、まったくそのような姿・様子になり、の意。すなわち、体力や気力であれ、おかれた情況であれ、限界的な情況・状態であることを表現する。通常「かかぐり~」と言われ、「~」で表現される動態がそうした限界的なものであることを表現する(つまり、単独では用いられない)。「かかぐりつく(かがぐり着く)」(やっとの思いで着く・たどりつく)。「かがぐり歩き」((たとえば雪山を)限界的な状態で、やっとの思いで、歩き)。「かかぐり出で」((例えば闇の中を)出られないのではないかという限界的な情況になりつつやっとの思いで出)。「かかぐりおり(かかぐり降り)」(難渋しつつ降りる)。「半被(ハッピ)の袖(そで)をかかぐって」といった表現もありますが、これは「かきあげ(掻き上げ)→かかげ」による「かかげいり(入り)→かかぐり」でしょう。

 

「雪山にのぼりて、かかぐりありき(歩き)ていぬるのちに」(『枕草子』「職の御曹司におはします頃、西の廂にて」:この「かかぐりありき」は「かかづらひありき」になっているものもある)。

「人目しげき所なれば、からうして又も明けぬさきにぞ帰りける。いとまだ夜深く暗かりければ、かかぐりいでんとおもへども、入るかたもなく、出るにも難ければ…」(『大和物語』附載)。