◎「おろか(愚か)」
「おろか(粗か)」。「おろ(粗)」はその項(「あら(粗)」の母音変化)。語尾の「か」は「さはやか(爽やか)」その他にあるそれ。この「か」に関しては「はるか(遥か)」の項。空虚な情況であることが意味の基本なわけですが、それはO音化し対象化し、空虚な全的情況にあるわけではなく、部分化した、空虚な情況にある。ところどころが空虚になっている。語尾の「か」では気づかれたそれが提示され提示により感銘が起きており(→「はるか(遥か)」の項)、その「おろ」は(部分化した、空虚は)、人の認知・記憶、気づきに関し言われる(客観的な事象に関し言うことが原意ではないということ)。個別的・具体的な事象に関し言われれば、気づかずに、や、いい加減に、といった意味になりますが、人の、とりわけ知的な、能力一般に関し言われれば、その方面の能力が十分に備わっていない、という意味になる。「インドはおろかイランまでも…」といった言い方は、インドなどでは足りず(認知が空虚で)ということ。
「月夜(つきのよ)に淸談(ものがたり)して、不覺(おろか)に天曉(あ)けぬ」(『日本書紀』)。
「おろかにそ吾(われ)は思ひし乎敷(おふ)の浦の荒磯(ありそ)のめぐり見れど飽かずけり」(万4049:「乎敷(おふ)」は地名。現在の富山県氷見市)。
「愚(オロカナル)モ智(サカ)シキモ四山ノ怖リヲ離レズ」(『東大寺諷誦文稿』:「四山」は生老病死の四苦を山にたとえる仏典語)。
◎「おろし(下ろし)」(動)
「おり(降り)」の使役形他動表現。降りる状態にすること。語尾がなぜO音化するかは「おとし(落とし)」の項。
◎「おろし(織ろし)」(動)
「おりおほし(織り生ほし)」。「おほし(生ほし)」は「おひ(生ひ)」の使役形の他動表現でもあり尊敬表現でもある。語尾がなぜO音化するかは「おとし(落とし)」の項。全体は「おり(織り)」の尊敬表現。
「わが王(おほきみ)のおろす服(はた)」(『古事記』歌謡67)。
◎「おろそか(疎か)」
「おろそか(粗そか)」。「おろ(粗)」はその項。「そか」に関しては「はるか(遥か)」の項。「おろ」であること、空虚・粗放で充実感がないこと、が提示的に強調され、同時に、「そ」により指し示されそれが客観的に提示されることから、それは「おろか」のような人格的「おろ」ではなく、情況的・状態的「おろ」を表現する。
「但(ただ)し其(そ)の葬事(のちのわざ)は、輕易(おろそか)なるを用(もち)ゐむ」(『日本書紀』様式や手続きを質素簡略化したものにする)。
「生(む)める子のやうにあれど、いと心恥づかしげに、をろそかなるやうに言ひければ、心のままにもえ責めず」(『竹取物語』:自ら生んだ子のようではあるが(普通の人間のようではあるが)、気が臆してしまうように(御門ほどの権威を)そっけなく言うので…)。
「若菜をおろそかなる籠(こ)に入れて…」(『源氏物語』:稠密に編まれている籠ではなく、簡略な印象の籠)。
「前生の運おろそかにして…」(『宇治拾遺物語』:前生の運に充実した完成感がなく欠落や落ち度や不足が感じられる)。
「家業をおろそかにする」。