◎「およぎ(泳ぎ)」(動)

「おふをよき(覆ふを避き)」。自分の全身を覆う何かを避ける。「かきわけ(掻き分け)」にある程度意味が似ています。「よけ(避け)」は古くは「よき(避き)」という四段活用があった(原形は上二段活用)。全身を覆っている何かとは水です。魚が水中で進行する動態を表現したもの。元来は「およき」と清音でしょう。

「池におよぐ魚、山になく鹿をだに…」(『源氏物語』)。「泝………宇加夫又於与支」(『新撰字鏡』(群書類従))。

 

◎「およしを」

万804にある表現。「おいをしひを(老いを廃ひ緒)」(「い」はY音)。最初の「を」は、「瀬を早み」のそれのように、動態の状態を表現するそれであり、目的を表現するのではありません。語尾の「を(緒)」は子孫であり、人一般。「おいをしひを(老いを癈ひ緒)」は、老いて無力化している人。この語尾の「を」は一般に「男(を)」と解されていますが、この言葉のある山上憶良の歌は人々の教導のために作られたものであり、歌の前部では男も女も言われ、ここで、年とった男とはそういうものだ、と言っていることは不自然でしょう。人間一般が言われている。

「か行けば人に厭(いと)はえ かく行けば人に悪(にく)まえ をよしを(意余斯遠)はかくのみならし…」(万804)。

 

◎「およすげ」(動)

「およす」は「おいおす(老い押す)」。老い(老成)を強調すること。大人ぶること。その「け(気)」が「およすげ」、大人ぶった気配、雰囲気。これが「げ」を活用語尾として動詞化したものが動詞たる「およすげ」。大人びた様子が目立つ様子になること。成長したり発育したり老成したり老成して地味で落ち着いていたりすることも言う。

「東宮やうやうおよすけさせ給ふままに、いみじううつくしうおはしますにつけても…」(『栄花物語』:成長した)。

「『およすげたることは言はぬぞよき』」(『源氏物語』:これは、生意気なことを言うな、のような言い方)。

「昼は、ことそぎ、およすけたる姿にてもありなん。夜はきららかに、花やかなる装束いとよし」(『徒然草』:これは、若々しい華やかさではない、老いた地味な姿)。

 

◎「およづれ(逆言)」

「おいをちふれ(老い若ち触れ)」(「い」はY音)。「をち(若ち)」は反転するような動態を表現しますが、若返ることも意味する。「おいをちふれ(老い若ち触れ)→およづれ」は、老いることと若返ることが触れ、同時に起こること。すなわち、矛盾したありもしないこと。あり得ない馬鹿げたこと。なんの意味も効果もないこと。

「さにつらふわが大王(おほきみ)は隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)の山に神さびに斎(いつ)きいますと たまほこの人ぞ言いつる およづれか わが聞きつる たは言か わが聞きつるも…」(万420:これは石田王(いはたのおほきみ)という人が亡くなった際、そうは聞いたが、およづれか、たはごとか、と言っている。うそだ、信じられない、ということ)。

「天皇(すめら)が朝(みかど)を置(お)きて罷(まか)り退(いま)すと聞(き)こしめしておもほさく。およづれ(於與豆禮)かも、たはこと(多波許止)をかも云(い)ふ。信(まこと)にしあらば…」(『続日本紀』宣命:これは藤原永手死去の際の光仁天皇によるものであるが、「およづれか、たはごとか」がほとんど慣用的な表現になっていたようである)。

 

◎「おやじ(同じ)」

これは「おなじ(同じ)」の項(11月1日)に触れたのですが、また書いておきます。

「おやはにひし(『親は』にひし)」。「ひし」は密着・密集などを表現する擬態→「ひし」の項。この「ひし」が完全な合致、完全に合うこと、を表現する。たとえばAに関し、Aの親(おや)は、それを生み出している、在らせている、のは、と提示しBがそれに完全に合うとき、AとBはそれを在らせているものやことは異ならず、AとBは「おやはにひし(『親は』にひし)→おやじ」。表現の視点は異なりますが言っていることは異ならない表現に「おなじ(同じ)」があります。奈良時代には「おやじ」も「おなじ」もどちらも用いられました。

「妹(いも)もわれも心はおやじ」(万3978)。

「橘は己(おの)が枝枝(えだえだ)生(な)れれども玉(たま)に貫(ぬ)くとき同(おや)じ(於野兒)緒(を)に貫(ぬ)く」(『日本書紀』歌謡125)。