「おぼといかになし(朧と『如何に』無し)」。「とい」は「つ」になり「に」は無音化している。「おぼ(朧)」は11月19日「おほ(朧)」の項。「と」は思念的に何かを確認する。「おぼといかになし(朧と『如何に』無し)→おぼつかなし」は、ぼんやりとして、(現状やこれから先が)如何に(どのように)ということがない。明瞭な識別・判断・認知・思い・確信が成立しない。さらには、動態に確かな信頼性がない→「おぼつかない足どり」。古くは「おほつかなし」と清音だったようです。「覚束無し」は当て字。
「今夜(こよひ)のおほつかなきに(於保束無荷)霍公鳥(ほととぎす)鳴くなる声の音の遙けさ」(万1952:この歌は何がおぼつかないのか事情ははっきりしない。季節感である可能性もある)。
「一夜のほど、朝の間も、恋しくおぼつかなく、いとどしき御心ざしのまさるを、『などかくおぼゆらむ』と、ゆゆしきまでなむ」(『源氏物語』:恋しく不安で、自分でも『なぜこれほど思われるのだろう…』とふとゆゆしく思われるほどだった)。
「おぼつかなきもの………物もまだいはぬちごの、そりくつがへり、人にもいだかれず泣きたる」(『枕草子』:何が起こっているのか、どうなってしまうのか…)。
「『…四条の大納言撰ばれたる物を、道風書かむこと、時代やたがひ侍らむ。おぼつかなくこそ』」(『徒然草』:明瞭性・確信性がない→怪しい)。「そんなことでは成功はおぼつかない」。
「昼のほどのおぼつかなからむことなども言ひ出でにすべり出でなんは、見送られて名残もをしかりなん」(『枕草子』:これは男と女の後朝(きぬぎぬ)の別れの際の情景を言っているものですが、「昼のほどのおぼつかなからむこと」とは、貴方が一緒にいない昼はどうなってしまうのだろう、どうしたらよいのかわからない、ということでしょう。そんなことを言ひ出でながらすべり出で帰っていくと女に名残惜しく思われるそうです)。