◎「おぞみ」(動詞)

「おぢしほみ(懼ぢ塩み)」。「おぢ(懼ぢ)」ははばかられたり恐ろしかったりしそばへ寄れない状態に陥ること。「しほみ(塩み)」は「しほ(塩)」の動詞化ですが、意気消沈した状態になること。塩はその潮解性により濡れ崩れた状態になる印象により、この言葉はそのような心情になることを表現し用いられます。つまり「おぢしほみ(懼ぢ塩み)→おぞみ」は、はばかられ意気消沈しそばへ寄りたくない状態になること。

「皆みな謡をおぞみ候て、はたと御つけ候はぬあひだ」(『禅鳳雑談(ゼンポウザフタン)』)。「尾州にては、をそるると云事を、おぞむと云」(『物類称呼諸国方言』)。

これは、驚く、や、眠りから覚める、という意味でも用いられますが、驚きは懼(お)ぢをともない、「おどろき(驚き)」が眠りから覚めることを意味するように(「おどろき(驚き)」の項)、人が「おぞむ」場合にも同じように覚醒的衝撃的な場合があったということでしょう。 

 

◎「おぞまし(鈍し)」(形シク)

「おぞみああし(おぞみああし)」。この「おぞみ」は「おぢしほみ(懼ぢ塩み)」(上記)のそれ。「ああ」は嘆声。その意味で「おぞみ」嘆声が発せられる思いになっています。ようするに、気持ちが「おぢ(ぢ)」てしまうような状態なのである。

「汝(なんぢ)是(これ)を知(しれ)りや。と宣(のたま)ひて。懐中より割符を出(いだ)して見せ給へば。高間太郎ますます驚き。こはこの秋。僕(やつがれ)白縫(しらぬひ)姫の代参として。白峰の御墓へ詣(まうで)しとき。かの山にて。旅人に遞與(わたし)たる割符なり。侮(さて)はその時の旅人は。御曹司にて在(おは)せし歟(か)。あな面なや(面目ない)。野干玉(ぬばたま)の闇なりとも。爰(ここ)へ伴(ともな)ひ進(まゐ)らせながら。面忘れたるこそ鈍(おぞ)ましけれとて…」(「読本」『椿説弓張月』)。

「うっかり車を間違へしか、こは鈍(おぞ)ましき失策せし、と再び車夫を止めんとする」(『当世書生気質』坪内逍遥)。

「絵画や書のこと事になると葉子はおぞましくも鑑識の力がなかった」(『或る女』有島武郎)。

 

◎「おぞまし(悍畏し)」(形シク)

「おぞみああし(おぞみああし)」。この「おぞみ」は形容詞「おぞし」(→その項・10月2日)の語幹による動詞化表現。「ああ」は嘆声。「おぞし」の状態であり嘆声が出るほどだ、ということであり、受け入れがたい限界にいたるほど「おぞし」なのです。

「先に羅漢あり。かたち偉(おぞま)しく大(おほき)なり」(『大唐西域記』)。

「腹立ち怨ずるに、かくおぞましくは……たえてまた見じ」(『源氏物語』)。

 

つまり形容詞「おぞまし」には、気持ちが懼(お)ぢる状態になってしまうことと、と、威力の恐ろしさのようなものを感じていること、の二種があるということです。心情的には似ていますが、後者は懼(お)ぢてはいません(反発や嫌悪を感じている場合はあります)。