「おしゃかになる」が「おしははか(押しは墓)になる」。「は」が退化した「しは」が慣用的に「しゃ」になっている。「おしははか(押しは墓)→おしゃか」は、物を作ることであれ、ことを作ることであれ、それをおしすすめることがすべて台無しになり、ものやことの墓場でしかない、その死であり生きた実りはもう何もない事態。つまり、これ以上すすめても無駄、という事態。これにより「(ものやことが)おしゃかになった」と言われ、何かを壊したり台なしにしてしまったりすることを意味するようにも受け取られ「おしゃかにする」という言い方もなされるようになった。「裸になる」や「(特に博奕(バクチ)で)無一文になる」といった意味で「おしゃかになる」と言われたこともあったようですが、それは上記の「おしゃか」が「お釈迦」と受け取られ(つまり「御釈迦」は当て字)、灌仏会における誕生仏が裸体(そして何も持たない)であることの印象によるものでしょう。
「釈迦」に「御」のついた「おしゃか」という一般的表現はもちろん別にあります。これはたいてい「おしゃかさま」と言いますが、呼び捨てもあります。「百も承知の手めへに対してこんな事をいふのはお釈迦に経を聞かせるとやらだが」(「人情本」:これは為永春水(その号の一つが狂訓亭主人)の『春色袖の梅』なのですが、ネットにはこれが『春色袖の海』になっているところが多々あります。誰かが誤植をしてそれが転写され広まっているのでしょうか)。
・人情本(にんじょうぼん):「江戸後期の小説の一ジャンル。「洒落本(しゃれぼん)」の後を受け、洒落本と違っておもに婦女子を読者とし、文政(ぶんせい)初年(1818)から明治初年(1868)にかけて江戸で流行した、写実的な恋愛小説の名称である」(『日本大百科全書』(小学館)の「人情本」の説明)。為永春水など。
・洒落本(しゃれぼん):「江戸中期以後行われた小説形態の一種。遊里に取材し、遊里の習俗、遊客遊女の風俗言動などを、会話を主とした文章で精細に描き、簡単な小説的構成をとったものが多い」(『日本大百科全書』(小学館)の「洒落本」の説明)。山東京伝や大田南畝など
・仮名草子(かなぞうし):「近世初期の慶長(けいちょう)年間(1596~1615)から井原西鶴(さいかく)の『好色一代男』が刊行された1682年(天和2)までの約80年間に著作・刊行された、多少とも文学性の認められる散文作品で、中世の「御伽(おとぎ)草子」の後を受け、西鶴の「浮世草子」に接するものをいう。しかし学術用語としてはあいまい不完全な名称で…」(『日本大百科全書』(小学館)の「仮名草子」の説明)。
・浮世草子(うきよぞうし):「1682年(天和2)刊の井原西鶴(さいかく)作『好色一代男』を起点に、100年間主として京坂で行われた、社会の風俗描写を基本的な方法とする小説群の総称」(『日本大百科全書』(小学館)の「浮世草子」の説明)。とにかく井原西鶴が有名。
・滑稽本(こっけいぼん):「滑稽を目的とした戯作(げさく)類で、後期江戸小説の一分野。当時は、小本(こほん) (現在の文庫本に近い型)とよばれた書型の「洒落本(しゃれぼん)」に対して、中本(ちゅうほん) (現在の新書判に近い型)とよばれたが、明治中期以後、近世文学が学問の対象となってから、内容によって、この名称に統一された」(『日本大百科全書』(小学館)の「滑稽本」の説明)。『東海道中膝栗毛』(十返舎一九(じっぺんしゃいっく):初編1802年)や『浮世風呂』(式亭三馬(しきていさんば))など。
・読本(よみほん):「江戸時代の小説の一様式。……挿絵が他の小説様式よりも少なく、文字を読む比重が大きいところから読本という。歴史に題材をとり…」(『日本大百科全書』(小学館)の「読本」の説明)。
・読本(よみほん):「江戸後期の小説の一種。絵を主体とした草双紙に対して、読むのを主とした本の意。寛延・宝暦(1748~1764)頃、上方に興り、寛政の改革以後江戸で流行、天保(1830~1844)頃まで続いた。中国白話小説の影響を受け、日本の史実を素材にした伝奇的傾向の強い作品が多く、勧善懲悪・因果応報思想などを軸として雅俗折衷的な文体で記された。半紙本五、六冊を一編とし、口絵・挿絵を伴う。都賀庭鐘・上田秋成・山東京伝・曲亭馬琴などが著名で、『雨月物語』『南総里見八犬伝』などが代表的」(『大辞林』(三省堂)の「読本」の説明)。『椿節弓張月』(滝沢(別号・曲亭)馬琴)などもある。