「おきなは(置き無葉)」。「おき(置き)」は、「お」が対象感を表現し、これは、遊離した、離脱した、存在感にもなり、存在化、現実化、現実にあること、を表現します(→「おき(置き)」の項)。この「おき(置き)」は「すめろき(天皇)→すめらおき」の「おき」と同じ用いられ方です。「なは(無葉)」の「な(無)」は、無い、無き、ということですが、「は(葉)」は時間を意味します→「はは(母)」の項。つまり、「なは(無葉)」は、時間の無いところ、永遠の地、の意。「おきなは(置き無葉)→おきなは」は現実化した、現実に現れた、永遠の地。要するに、理想郷、のような意です。日本の南方域の地域名。沖縄方言では「おきなは」は「うちなー」になります。沖縄の方言では「き」の音(オン)が「ち」になる。「かきまはし(掻き回し)」→「かちゃーしー」。これは天をかき回すような踊りです(舞か)。「うちなんちゅう(おきなはのシュウ:沖縄の衆)」(沖縄の人たち)。「お」も「う」になります。「おりもの(織物)→ういもん」。「り」は「い」になります。「はかり(竿秤)→はかい」。

「おきなは(沖縄)」の漢語的名称は「リュウキュウ(琉球)」ですが、この「流求・琉球(リュウキュウ)」という語は中国に古くからあり、この語は南の海の連なるようにある島々はすべて「流求」であり、ある島の名というような語ではない。この語は、海上を移動し、「あれが見えたから向こうへ行けばあれがある」というように、それを目当てに流れ求めいくもの、ということでしょう。いうなれば、移動のための目印の意。