「おきて(置き手)」。「て(手)」は、基本的には人体の一部を意味しますが、人間は手で多種多様なことを行うので、意味発展的に、方向(人は手で方向を示すから)・人間や社会のあり方(人間や社会の情況方向)もあらわします。「おきて(置き手)」は、置かれている手、客観的に存在化されている人間や社会のあり方、です。「おきて」という動詞もありますが、名詞たる「おきて(置き手・掟)」がまずあり、動詞はそれが動詞化したものと思われます。

「詔(みことのり)して賞罰(まつりごと)支度(おきて)、事(こと)巨(おほ)きなる細(ちひさき)と無く並(なら)びに皇太子(ひつぎのみこ)に付(ゆだ)ねたまふ」(『日本書紀』)。

「生まれたる家の程、をきてのままにもてなしたらむなむ…」(『源氏物語』生まれた家の程度、そのあり方のままにもてなす)。

「(庭の)水のおもむき、山のをきてを改めて…」(『源氏物語』:あり方を改めて)。

「心深く思ひすまし給へるほど、まことの聖(ひじり)のをきてになむ見え給ふ」(『源氏物語』:聖の聖たるべきあり方・規範、のような意)。

 

「おきて」を決めることを「おきてし」とも表現しますが、「おきて」がそのまま下二段活用の動詞にもなっています。これは、掟(おきて)を、行為規範を、決めることや、その掟(おきて)に、行為規範に、従うこと(反しないこと)を意味します。

「…まして、次々伝はりつつ、隔たりゆかむほどの行く先、いとうしろめたなきによりなむ、思ひたまへおきてはべる」(『源氏物語』:まして、将来、子々孫々、伝わり(影響し)それら(子や子孫)が賢き人たちと隔たっていく先を考えるととても恥ずかしい思いがするので、そう思いそうすることを(子を厳しい教育環境におくことを)心に決めました。「うしろめたなし」は、うしろめたいことがない、ではなく、後(うし)ろ目(め)痛(いた)、が、似(に)無(な)し(似たものがない)→(質的に)ひどくうしろめたい、という意味)。

「命の限りは(娘を)狭き衣にもはぐくみはべりなむ。かくながら見捨てはべりなば、波のなかにも交り失せね、となむ掟(おき)てはべる」(『源氏物語』:このまま見捨てるくらいなら海にでも身を入れようと心に決めています)。

「みづしどころ(御厨子所)、大殿の具、いとよくしをきてたり」(『宇津保物語』:よく管理されていた)。