「お」の音(オン)(O音)は遊離感のある目標感、そこへ向かって行く方向感のある対象感を表現し、この遊離感のある目標感は、遊離した、離脱した、存在感にもなります(動態的独律感が生じ、これが存在感になる)。それらは、物だけではなく、事象や動態でも表現されます。「コップを机におく」はコップを机に遊離した(独律的)存在感を生じさせる。この遊離感のある対象感は離脱感にもなります。「彼をおいてほかにはない」は「彼」を遊離、離脱させる(この意味の「おき」は「措き」とも書かれる)。「間(ま)をおく」は時間域に存在感を生じさせる。動態を存在化させることもあります。「知っておく」(これは理性的確認と記憶化)。「(窓を)開けておく」(窓が開いた状態を独律的(それゆえに持続的)に存在化させる)。「算をおく」は、計算する(「おき殺す」という表現もあります。これは算木を置く占術のような作法で人を呪い殺すらしい)。「心おきなく」は、心を遊離・離脱させ存在化させず(つまり、融和させ)、の意。「おき(置き・措き)」は自動表現で現れることもあります。「霜がおく」。
「をとめの床(とこ)の辺(べ)に我(わ)が置(お)きしつるぎの太刀(たち)その太刀(たち)はや」(『古事記』歌謡34)。
「さとりなき者は、ここかしこ、たがふ(違ふ:矛盾する)うたがひををきつべくなん」(『源氏物語』)。
「…ほととぎす雨間(あまま)もおかずこゆ鳴(な)きわたる」(万1491:「こゆ(従此間)」は、その雨間の間)。
「吾(あれ)をおきて人はあらじと 誇(ほこ)ろへど…」(万892)。
「愛(うつく)しき吾(あ)が若き(幼い)子をおきてか行かむ」(『日本書紀』歌謡121)。
「誠に、少しの地をもいたづらにおかんことは益なき事なり」(『徒然草』)。
「(蝮(まむし)に噛まれたら「めなもみ」という草を揉んで塗ると癒えることを)見知りておくべし」(『徒然草』)。
「『いらぬ事じゃ、おけやい』『いやおくまいわい』」(「浄瑠璃」:遊離させろ、そのことから離れろ、放(はふ)っておけ)。「『おきゃあがれ』と文蔵と有右を突き倒す」(「歌舞伎」:事象から離れろ。やめろ、どっかいっちまえ、のような言い方。「おきろ(起きろ:目を覚ませ)」と言っているわけではない)。
「立山(たちやま)に降りおける雪を常夏(とこなつ)に…」(万4001:この「おき(置き)」は自動表現)。