まず「いげちなし(意気地無し)」の語源から。

「いげちなし(意気地無し)」は、「いけセチなし(いけ切なし)」。「せ」は消音化しました。「いけ」は「いけ好かない」「いけしゃあしゃあ」その他の「いけ」。これは「生き」の語尾がE音化しているものであり、「いき(活き)」に語尾E音の自動詞(たとえば「(夜が)明け」「負け」「裂け」)のような動態感が生じ、生々しさが表現され、形容詞その他を修飾するような用い方をします。この「いけ~」は関西系の表現のようです。「いげちなし」も関西系の表現。「せちなし」の「セチ」は「切」の呉音(漢音は、セツ)。要するに「せつない(切ない):心情が切迫する」(→その項)ということ。つまり「いげちなし」は、生々(なまなま)しく、現実感をもって、切ない。この表現は思いや情況が切迫し胸に迫るような情況であること、それほどにひどいと思われる情況であること(まれには、せつなくなるほど愛らしいということ)を広く表現します。

「いげちない。まだとしもいかない子を売(うら)ずと、わし二三ねんも身をうるべいと」(『続東海道中膝栗毛』)。

「鱓(やつめ) 鱗鮀(をろち)の再来か。酒呑童子の眷属か。いげちない酒好きと」(「浄瑠璃」:漢語の「鱓(セン)」は、うみへび、の意。「やつめ」は、やつめうなぎ、のこと。なんとなく不気味そうなのでこんな言い方をしたということでしょう)。

「共に寝る御座ともおぼせ苔筵(こけむしろ) 野辺の闇路にいげちなき中(なか)」(「俳句」:これは、いたましい、のような意味ですが、江戸時代に夜鷹(よたか)がやっていたような路傍の性商売ということか。「夜鷹」の語は筵(むしろ)で背から身を覆ったその夜影が鷹を思わせたから)。

「かはいらしいと云詞のかはりに……上野(かうづけ)にて、いげちないと云……是等は皆かはゆひといふ事也」(『物類称呼』)。

 

この言葉は後に「えげつない」に変化します。「い」から「え」への変化は関西系の方言特性によるもの。たとえば「いいよ」→「ええよ」。「ち」から「つ」への変化は「切」の音は「セツ」でもあることによるもの。上記の「せ」の消音化にも関西系の方言特性は影響しているでしょう。すなわち「せ」が「へ」の音へ向かい消音化します。「ありません→ありまへん」。