◎「うれづく」の語源
「うるいえつうけひ(うる癒えつ祈誓ひ)」。「るいえ」が「れ」に、「つう」が「づ」に、「けひ」が「く」になっています。「うる」はその項。不平や不満を言うこと。「いえ(癒え)」は安堵することであり「うるいえ(うる癒え)」は不平不満がなくなること。「つ」は連体助詞のそれであり、「の」のような意。「うけひ(祈誓ひ)」は、未知の、これから起こることに自己の意思を表明し、それが自己の意思であり宇宙の意思でもあることを保障すること(その項(4月26日))。「うる癒え」の「うけひ(祈誓ひ)」とは、不平不満がなくなっている祈誓(うけ)ひ、どのような結果が出ようと文句のない祈誓(うけ)ひ、確かな祈誓(うけ)ひ、ということ。
「其(そ)の兄(あに)曰(のたま)ひけらく。『若(も)し汝(なれ)この孃子(をとめ)得(え)ることあらば、上下(かみしも)の衣服(きもの)を避(さ)り、身(み)の高(たけ)を量(はか)りて甕酒(みかざけ?)を釀(か)み、亦(また)山河(やまかは)の物悉(ことごとく)備(そな)へ設(まう)けて、宇禮豆玖(うれづく) 爲(せ)む』と云(い)ひき」(『古事記』)。
◎「うれむぞ」の語源
「うるいえむそを(うる癒えむ其を)」。「うる」はその項(7月28日など)。これは不平や不満があることを意味します。「そ(其)」は何かを指し示し、「を」は助詞であり、ある状態を…と表現することによりその状態を願い希求していることを表現します。全体は、不平・不満が癒えるそれを…、不平不満が癒えるその状態でありたい、不平不満が癒えるそれを誰かもたらしてくれ、のような意。誰かこの思いを救ってくれ、と言っているようなものです。
「うれむぞ(宇禮牟曾)これが蘇りなむ」(万327:誰か私の今のこの思いを救ってくれ。あの娘たちはこれが蘇ると言うのだ)。「これ」とは乾鮑(ほしあはび)です(娘らが、(法力のようなもので)これを蘇らせてくれ、と、ある僧の処へ乾鮑(ほしあはび)を持ってきた(からかったのです。蘇らなかったらどうぞお召し上がりください、ということでしょうけれど))。
「奈良山の小松が末(うれ)のうれむぞ(有廉叙)は我が思ふ妹に逢はず止みなむ」(万2487)。この歌は「まつ(松)」が「まつ(待つ)」にかかっているのでしょうし、「うれ(末)」で「うれむぞ」の「うれ」が引き出されているわけですが、私のこの、思いを救ってくれという思いはあの人に逢わず止んでしまうのだろう…(そうなのか?) 、ということでしょう。
この語は『万葉集』にだけ見られるものであり、一般に、語源は不明、と言われています。「うれへむぞ(憂へむぞ)」の可能性もありますが、世に訴えるぞ、よりも、救いを、の方が思いは切実でしょう。特に「奈良山の…」(万2487)の歌は、思う妹に逢えないことを世に訴えることは不自然です。