◎「うれ(末)」

「うらはえ(裏生え)」。「うら(裏)」はその項参照(7月19日)。(生命の)内奥からの生(は)え、であり、(樹木の)新芽です。「恋ひしけば来ませわが背子垣内(かきつ)柳(やぎ)末(うれ)摘(つ)みからし吾(われ)立ち待たむ」(万3455:この「けば」は「ければ」の「れ」の脱落であり、意味は、仮定条件ではなく、既定条件であり、私のことが恋しいなら、ではなく、あなたが恋しいから、ということでしょう。一般には、この「け」を過去の助動詞「き」の未然形である等言いつつ、仮定条件と解し、私のことが恋しいなら、と解されているようです)。

 

◎「うれ」(人称)

「うぬらえ(汝らえ)」。語尾の「え」は問いかけるような語感のある、言っていることの印象を強める、呼びかけの発声。「ら」は情況を表現しこの場合は対象の情況化、複数を表現します。「うぬ(己・汝)」は一人称にも二人称にも用いますが、ここでは二人称であり、二人称の場合相手を軽んじている、さらには侮蔑している、語感も生じます。しかし「うれ」の場合は、複数であることの効果でしょう、侮蔑性はありません。遠慮のない親し気な表現というようなものです。後世で言えば「お前ら」のようなもの。「いざうれ、是より…播磨路へ向うて、一の谷のまっさき駆けう」(『平家物語』)。

 

◎「うれ(熟れ)」(動詞)

空虚感を表現する「あ」がU音化し遊離した動態感が生じている「う」による動詞です。空虚感に関しては「あえ(落え・熟え)」の項(下記 ※)。果実や米・麦などが成育し成熟し動態飽和域に入り崩溶がはじまる状態になっていること(米・麦などなら刈り入れ時になっていること)を表現する。

 

※ 動詞「あえ(落え・熟え)」の一部をもう一度書いておきます。

空虚感を表現する「あ」。空虚感、自我構成力の喪失感(構成力の空虚化)、活性力の衰化、自我の不活性化(活性の空虚化)を表現する「あ」がある。

動態の全的完成―それが飽和し完成すること―はそれが無意味化し空虚となることを意味する。動態が完成し飽和したとき完成させ飽和させた動態はもはや動態として意味を喪失する。こうした空虚感を表現する「あ」による動詞としては他に……。