これはすべてが「あり」になる神話の始めの部分(つまり、『旧約聖書』で言えば「天地創造」の部分)にある神名であり、『古事記』では「宇摩志阿斯訶備比古遅」と書かれ、『日本書紀』の「一書」では「可美葦牙彦舅尊」と書かれます。
「うみああしあはしかみひひこぢ(生み『ああ』為淡然見火日子路)」。「うみああし(生み『ああ』為)→うまし」「あはしかみひ(淡然見火)→あしかび」「ひこぢ(日子路)」という変化。『ああ』は感嘆発声。これは奇跡への感嘆と言っていい。「むすひ(産霊):下記※(1)」が命を得たこと、現実として現れたことの奇跡です。「し(為)」は動態の進行を表現する。「あはしかみひ(淡然見火)→あしかび」は、淡(あは)いが確かに見える火(光)→「あしかび(葦牙)」(下記※(2))の項。「ひこ(日子)」は日の子であり、「ぢ(路)」は目標のある進行(その持続)を表現します→「ち(路・道)」の項。生み(すべてが存在化し) 『ああ…』し(感嘆すべき奇跡が進み) 希薄だが確かに見える火(光)の 日の子の路(みち:目標感のある進行、その永永たる持続)……そんな神名です。存在がある過程、すべてが生まれる過程を動かす原動力、それによってあらゆる存在がありあらゆる運動がある、すべてのもの、すべてのことが生まれる原動力、の神格化。この神は「むすひ」に続いて現れます。「むすひ」の神が生まれ、隠れた後に現れる→「むすひ(産霊)」の項。
ちなみに、『日本書紀』の「一書」ではこの神名の「あしかび」にあたるらしき部分が「葦芽」と書かれています。『日本書紀』が編集され書かれた時代にはもはや「あしかび」の意味が分からなくなっていたのでしょうし、「あしかび」の音(オン)によるそうした俗説もあったのでしょう→「あしかび(葦牙)」の項。
※(1) 「むすひ(産霊)」の語源は別項になりますが、大いなる自然の意思動態、大いなる宇宙の意思動態、のような意味です。
※(2) 「あしかび(葦牙)」の語源は去年(2019年)の3月13日に触れたのですが、淡(あは)いが確かに見える火(光)、という意味です。「あはしかみひ(淡然見火)」。
(日本の神話における始まりから「島生み」までの概略)
日本の神話における始まりから「島生み」まで、すなわちすべてが「あり」になる神話の始めの部分(つまり、『旧約聖書』で言えば「天地創造」の部分)、においては宇宙の創造、あらゆる存在の創造過程が存在たる(存在とある)認識の形成過程として表現されそれが神の世のこととなります。宇宙や世界、「あらゆる存在」とは客観世界であり、『旧約聖書』における「天地創造」は客観世界の物的創造を表現していますが、日本神話におけるそれは、客観世界の物的創造を表現しているわけではなく、その「天地創造」とは、客観世界の認識の始まりを表現しています。それは客観世界が「あり(在り)」になる認識の始まりであり形成過程です。世界や宇宙がなぜ有るかといえば、それは人が世界や宇宙を認識しているからなのです。人が認識していなければ世界や宇宙などない。人がいなくても世界や宇宙は有ると思うのは、認識がなくても認識や認識内容はあるということであり、無意味なのです。存在たる(存在とある)認識の作動が始まり、その機能は時間的にも空間的にもたしかな安定したものとなり、そして「いざなき・いざなみ」が現れ、まるで人が生命を生むような「島生み」があります。
『古事記』にある神話の始めの部分は、始めに「なか(中):部分領域のない世界。部分と全体の相対性の無い世界→「なか(中)」の項」があり、そして大いなる自然の意思、大いなる宇宙の意思動態たる言語動態力を得、それが基底に備わり(→「むすひ」の項:『日本書紀』では天地が分かれまず始めに「国常立尊(くにのとこたちのみこと)」が生まれている)、そして上記「うましあしかびひこぢ」が現れ(作用し)、「とこたち(常立ち)」となり、そして次に「くにのとこたち」、人の世界と自然世界を結び連絡する中枢の、認識世界と自然世界を結び連絡する中枢の「とこたち」があり、「とよくも」、認識世界も自然世界も豊かに流動し、そして次に「うひぢに」(うひつちに:初大地土。「つち」は大地を意味する)等があり、「くひ(杙)」(「くひ(杙)」は人と地、一般的に言えば主体と空間、を結びつなぐことの象徴)があり、「おほとのぢ」(おおつよののち:大強の後)「おほとのべ」(おほつよのべ:大強の重。「へ」の濁音化はそれにより持続感・複数感を表現したのかも知れない)が生まれ将来的持続的力も得、「おもだる」(おもつよたる:重強足る。充実し完全に満ち足り)「あやかしこね」、畏しという思いがあり、そして「いざなき」「いざなみ」が生まれます。この「いざなき」「いざなみ」の二神により島生みや様々な神格化されたものの生みがありますが、「いざなき」は死の穢れの世界へ行き、帰り、その禊(みそぎ)から「あまてらすおほみかみ」「たけはやすさのを」などが生まれます。「あまてらすおほみかみ」は「おほひるめのむち」とも言い、日のイメージとも重なっている(「おほひるめのむち」に関しては別項)。この「おほひ(大日)」の「ひ(日)」は普通の日、日常の太陽、ではありません。それは「あしかび」(上記)が認識の穢れ(誤謬)死の穢れを経て清浄を果たしまぶしく燃える原始的な日。
※ 「天地(あめつち)初(はじ)めて發(ひら)けしとき高天原(たかまのはら)に成(な)れる神(かみ)の名(な):その神が成り「天地初めて發(ひら)き」となる神の名」(『古事記』)の意味中枢部分を順に列記すれば。なか→むすひ→うましあしかびひこぢ→(天(あめ)の、そして、国(くに)の)とこたち→とよくも→うひぢに→くひ→おほとのぢ・おほとのべ→おもだる→あやかしこね……いざなき・いざなみ。そしてこれらを基盤とし「島生み」があります。