◎「うとみ(疎み)」(動詞)

「うとし(疎し)」の語幹の動詞化。現実に対し意思動態的空虚というような状態になること。不活性感、それゆえの不安、無意味・無価値ゆえの、その現実への忌避、さらには嫌悪、が生じています。何かによそよそしくなったり何かを避けようとしたりする。そんな動態・情態であることを表現します。ほとゝぎす汝(な)が鳴く里のあまたあればなほうとまれぬ思ふものから」(『伊勢物語』(下記※))。「うとむ者はあれど親しむ者はなし」。

 

◎「うとめ(疎め)」(動詞)

「うとみ(疎み)」の他動表現。疎(うと)みを働きかけること。何かを疎(うと)むのではなく、疎(うと)む状態にさせる努力をする。言語主体たる自分を疎(うと)む状態にさせるのではなく、相手が誰か(第三者)を疎(うと)む状態にさせる。AをBと疎遠にさせるためにAに、Bの印象が悪くなるようなことを言ったりする。「言ひうとめ」「聞こえうとめ」という言い方をしたりする。「あやにくにおはするよしをのみ言ひ(がっかりするようなことのみを言い)うとめ給へど」(『浜中納言物語』:気持ちを疎遠にさせようとした)。

 

◎「うとまし(疎まし)」(形容詞シク活用)

「うとみああし(疎みああし)」。「ああ」は感嘆表明であるが、この場合は不快であることを表現する。関係し関係を深めることが不快であることを表明する。

 

※ この「ほとゝぎす…」の歌は『伊勢物語』43段にあるのですが、この段は言っていることがわかりにくいです。ようするに。賀陽(かや)の親王(みこ)という人に仕えていた女にある人がなまめいていること(色っぽい状態になっていること)を、われのみと思ひける状態で(自分だけが色っぽい状態になっていると思っている状態で)また別の人が聞きつけて文(ふみ)をおくった、ということです。それが上記の歌です。「我のみと思ひけるを又人ききつけて…」は、思っているのに聞いた、のではなく、思っている状態で聞いた。「瀬を早み(瀬の状態で早まり:~を+自動表現)」のように、「を」が状態を表現します。