「うてには(打て庭)」。「うて(打て)」は「うち(打ち)」の受動表現。すなわち受け身→「うて(打て)」の項(6月16日)。これは、(その存在感に)圧倒される、のような意味になる→「うて(打て)」の項(その「うて(打て)」の項で、現代の日本語で言えばそれは「やられ」が最も近いか、といったようなことを言いましたが、ここで「やられ」とは、その存在感に圧倒される、という意味なわけです)。「うてには(打て庭)→うてな」、すなわち、その存在感に圧倒される庭(には)、とはどういう意味かというと、土を盛られ作られた高台です。そこに柱が建てられ屋根がつけられたりもし、これも「うてな」と言います。用途は、物見、遠望です。後には、その尊さに圧倒感があり、また、人を天上のようなところへ上げるもの、という意味でもあるでしょう、仏・菩薩が座すという、そして仏教で極楽往生したものが座すといわれる、蓮(はす)の花の台座(下記※)、それも「蓮(はちす・はす)のうてな」や単に「うてな」と言ったりもします(形が似ているので花の咢(ガク)もそう言います)。

「䑓……〈…宇天奈(うてな)〉積土為之所以観望也」(『倭名類聚鈔』:土を積み之を為す以て観望する所也)。

「堂榭 堂上起屋也 倭云 于天那(うてな)」(『華厳音義私記』)。

「無上微妙の台(うてな)に昇り」(『大般若経』)。

「はちす葉を同じうてなと契りおきて露のわかるる今日ぞ悲しき」(『源氏物語』)。

 

※ インドでは真理たる権威の美しさの象徴として蓮(はちす・はす)の花の影響は大きいです。創造神のようなブラフマンも蓮の花に坐したりします(当初からそうなのかは不明ですが)。日本では『法華経』の影響も大きいのではないでしょうか。『法華経』の正式名称は『正しき教えたる白き蓮の花の経典』(सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र (Saddharma Puṇḍarīka Sūtra)) 。