「うちとて(打ちと手)」。「うち(打ち)」は、表すこと、現実化することを意味しますが(→「うち(打ち)」の項)、この場合は音響が現実化します。「と」は助詞→「おとな(大人)」の項(この助詞は思念的に何かが確認され、「~たる」のような意)。「うちとて(打ちと手)→うで」は、「打ち」とある手、手(て:手のひら)が「打ち(うち)」になるところ、の意(つまり、その部分がなければ手(て:手のひら)は「打ち(うち)」にならない。手を打てない)。手(て:手のひら)が両の手のひらを強く早い動きで衝突され音響が現出する状態になる体の部分、の意。手(手のひら)で音(おと)を出すために使われる部分、のような意味です。人の身体の肩から手首までの部分を言いますが、「うで(腕)」としては肘(ひぢ)から手首までが一次的であり、肩から肘までは二次的です。人は手でさまざまな作業をすることから、技術的な能力を象徴する語にもなっている→「(仕事の)うでが上がる」。
「ニのうで(二の腕)」は肩から肘(ひぢ)までを言いますが(肘から手首までを言うこともある)、これは、何かの動きに連動してそれにつれて動く腕、の意(つまり、手の動きは手首から先が主体なわけです)。
「うでまへ(腕前)」は、腕(技術)であることが真に維持されていること、まさに腕と言いうる腕であること(これは腕として容認され誘引力のある腕でもある)→「まへ(前・相当)」の項。
「かひな(腕)」や「ただむき(腕)」といった古代的な雅称とでもいうような表現もあります。