◎「うづみ(埋み)」(動詞)の語源
客観的対象が何かを内へ実践させる(そこに積もり、それを覆い、見えなくしてしまう、のような意)でも言われます→「ちる花は道見えぬまでうづまなん(花は道をうづめろ)」(『拾遺和歌集』:花が道を内踏む)。この用法で「(夕暮れが)心をうづみ」と言えば心が沈んだような状態になり、「人をうづみ」が人を隠すことを意味したりもします。
客観的対象(A)が主体となって何か(B)を「うづみ」た場合、AがBの内それ自体のような状態、BがAで満ちた状態、になります→「客が会場をうづみ」(客が会場を内踏む)。
「うづみび(埋み火)」は火を保つために灰に埋めた炭火(埋(うづ)まった火、ではありません。埋(うづ)めた火)。
これは室町時代ころから活用語尾がE音化し「うづめ(埋め)」になっていきます(動態本質的な他動性によって活用語尾が、その外渉性ゆえに、E音化していくということです。つまり、現代の人においては、上記の例の意味はすべて「うづめ(埋め)」で考えればわかりやすい)。
◎「うづめ(埋め)」(動詞)の語源
他動詞「うずみ(埋み)」の語尾が外渉感のあるE音化しその他動性(他への働きかけ性)が音表現上明瞭になったもの。つまり「うづみ(埋)」の変化。意味は「うづみ(埋み)」に同じ。上記「うづみ(埋み)」の項。
◎「うづまり(埋まり)」(動詞)の語源
「うづめ(埋め)」の自動表現。「きめ(極め・決め:他動)→きまり(極まり・決まり:自動)」「ため(溜め:他動)→たまり(溜り:自動)」のような変化。「うづめ(埋め)」の、客観的な対象を主体とする自動表現になります。「地中に深くうづまる」。古くは動詞「うづみ(埋み)」(上記)に受身の助動詞「れ(る)」のついた「うづまれ」という表現もありますが(「足くびまで(砂に)うづまれ」)、この「うづまり」はそれとは無関係です。
◎「うづもれ(埋れ)」(動詞)の語源
「うちうもれ(打ち埋もれ)」。「うち(打ち)」は現実的な明瞭感を表現します→「うち(打ち)」の項。「うちうもれ(打ち埋もれ)→うづもれ」は、現実的存在感をもって埋(う)もれた状態になること(「うもれ(埋もれ)」はその項)。「橘の(雪に)うづもれたる、御随身して払はせ給ふ」(『源氏物語』)。「くづるる山にうづもれておほくの人死ぬれば…」(『宇津保物語』)。
「うづもり」という四段活用も現れていますが、これは、「うもれ(埋もれ)」は客観的な対象を主体とした自動表現ですが、それで主体的な表現をすると漠然と受け身の印象が生じ、明瞭に主体的に自動表現化し四段活用になっているということでしょう。「諸の衆生は久しく生死に殖(うづもり)て…」(『金剛般若経讚述』)。