◎「うつせみ」

「うつせみ(現瀬見)」。「うつ(現)」は明瞭な現実感を表現します。「うつせみ(現瀬見)」は、明瞭な現実感のある、しかし光りながら絶え間無く現れ消える、川の瀬の見(み:見ている印象・記憶)、の意。これが、我々が日々みている、絶え間無く流れる現実を表現します。

「うつせみと思ひし妹(いも)が」(万210:日々現実にありありとあると思っていた妹(いも)が(これは妻が亡くなった後の歌))。

「いにしへも然(しか)にあれこそうつせみも嬬(つま)をあらそふらしき」(万13:我々が現実に日々生きている今も、の意)。

ただ、後世(平安時代以降)にはこれが「うつせみ(空蝉)」空ろな蝉・蝉の抜け殻、と解され儚(はかな)さや空(むな)しさの象徴になったようです。この変化には仏教の無常観の影響もあるでしょう。

「うつせみの空しき心地(ここち)」(『源氏物語』)。

「うつせみの声きくからに物ぞ思ふ我も空しき世にしすまへば」(『後撰和歌集』)。

 

◎「うつそみ」

「うつせよみ(現瀬世見)」。「うつせみ(現瀬見)」の「瀬」がその「瀬」たる「よ(世)」という表現になっています。意味は「うつせみ(現瀬見)」の原意にほとんど同じ。

「うつそみと思ひし時に携(たづさ)へてわが二人見し」(万213)。