◎「うつ(空)」

「うとゐ(「う」と居)」。「う」は、「うせ(失せ)」その他、空虚感を表現します。「と」は助詞。思念的に何かを確認します(「おとな(大人)」の項参照)。「うとゐ(「う」と居)→うつ」は空虚なあり方にあること。「うつぎ(空木)」(樹木名ですが、芯部が中空になっています)、「うつはぎ(空剥ぎ)」(内部がまったく空虚になるような剥ぎ方をすること。表面全体をそのまま剥ぐ)。

この「うつ(空)」を語幹とした「うつけ」という動詞もあります。意味は、空虚な状態になること。「うつけたる国」(実態のない空虚な国)。人がうつければ魂が抜けたような状態にもなり、「うつけ者」は愚かな者、阿呆のような意味にもなります。「本心を失ひてうつけたる如くなり」(『尚書抄』)。「やれやれうつけた事を云人じゃ」(「狂言」)。

 

◎「うつ(現)」

「えゐつ(え居つ)」。「え」は驚きの発声。この場合は発見の、存在を受けたことの、衝撃感を表現します。「ゐつ(居つ)」は存在との同動(存在の認了)表現。「えゐつ(え居つ)→うつ」は衝撃的なほどのありありとした現実感を表現します。これが二度重なると「うつうつ(現現)」「うつつ(現)」。これによる「うつし(現し)」という形容詞(シク活用)もあります。これによる「うつくし(愛し・美し)」という形容詞もあるのですが、「うつ(現)」が、ありありとした、明瞭な現実感を表現するということがわかっていないと「うつくし」もわかりにくくなります(「うつり(写り・映り)」という動詞もわかりません)。「ゆめうつつ」といった表現や「うつろ(虚ろ)」といった表現の影響などで「うつ」がボンヤリとしていることを表現するような印象になっているのです。

 

「うつつ(現)」

「うつうつ(現現)」。「うつ(現)」が二つ重なり明瞭な現実感を表現します。「うつつにも夢にも我は思はず」(万2601)。しかし、「空」という意味の「うつ」があり、「うつろ(虚ろ)」という言葉もあり、「夢かうつつか」といった表現も行われ、「うつつ」が夢のような状態を表現する言葉として用いられたりもし、「夢かうつつか」では無く「夢うつつ」と表現されるようになります。「うつつ」が夢にいるのか現実にいるのかわからないような状態になることを表現するようになります。

「御孫尊(みまのみこと)若(も)し寶国(たからのくに)を得(え)まく欲(おもほ)さば現(うつつ)に授(さづ)けまつらむ」(『日本書紀』:夢や空想や想いではなく、現実に)。

「かのひめ君と思しき人の、いと清らにてある所にいきて、とかくひきまさぐり、うつつにも似ずたけく厳(いか)きひたぶる心いできて、うちかなぐる」(『源氏物語』:普段ある、現実のさまと似ても似つかず。「かなぐり」は自分を放り出すような状態になること)。

「うつつの人」は、(死んだ過去の人ではなく)今現実に生きている人や(物語に登場するような架空の人ではなく)現実の人。

「一同皆入興(ジュキョウ:興に入り、関心を奪われ)して幻(うつつ)の如(ごとく)に成にけり」(『太平記』:心を奪われ呆然自失の状態になった)。