「うつちゐ(打つ血居)」。「うち(打ち)」は現実感となる影響を与えること、現すこと、現実化することを表現します→「うち(打ち)」の項(5月28日・昨日)。「ち(血)」は、血縁であること、血縁として太古から受け継がれているもの・こと、血族、を意味し(下記※)、「うつちゐ(打つ血居)→うぢ」は、現れている血たる存在、血が、血縁として太古から受け継がれているもの・ことが、現実化している居(ゐ)・存在、です。つまり、「うぢ(氏)」は、それが何時のことなのかはわかりませんが、遠い遠い古代から受け継がれている、「ち(血)」によって象徴される生命体としての特性の現れ、ということです。「祖(おや)の名(な)断(た)つな 大伴のうぢと名に負へる大夫(ますらを)の伴(とも)」(万4465)。
これはその「うぢ」の言語表現、その名、を意味することもあり→「貧道(それがし)原来(ガンライ)氏(うぢ)もなく、名もあらず」(「読本」・『椿説弓張月』)、族的権威を背景にした敬称として後世では武士における敬称にもなりました。「ヤア、民谷氏(うぢ)。爰(ここ) にござったか」(歌舞伎の台詞)。
※ 血が受け継がれる、という認識はけして血で人格象徴をおこなった譬喩(ヒユ)というわけではなく、いわゆる「へそのを(臍の緒)」には、現代の専門用語で言うと「サイタイケツ(臍帯血)」という、幹細胞も多く含む血液が母体から胎内の子へと流れ、これにより子が育ちます。