動詞「うたぐり(疑り)」は「うたがひげいり (疑ひ気入り)」。「がひげい」が「ぐ」になっています。疑う気(け:見えないがあり作用する何か)が入ること。それが入って作用している状態になること。「うたぐりなんすならなんでもしいせう」(「洒落本」(「なんす」に関し下記※))。これによる「うたぐりぶかい (疑り深い)」という表現もあります。「うたぐり(疑り)」の状態に抜けがたい深刻さがあること。
※ 「なんし」は「にありもし(に有りも為)」。「り」のR音は退行化しつつ「りも」が「いむ」のような音をへつつ「ん」になっています。「Aにありもし・Aなんし」といった言い方により(Aが連用形で表現される動態だったとしても)Aであることの相手への強制性を弱め、提案などのおしつけがましさを弱めやわらげた表現になります。それは相手に対する尊重感の表現にもなります。
「お前はこちら枕になんすかへ」(「洒落本」:「す」の後の「る」は退行化しています)。
「ちょっとも座しきへ顔を出さっしゃらねへのはどうなんしたかと考へて居りいした所へ」(「人情本」)。
「起きて居なんせな。明日の夜も有るに」(『松の落葉』)。命令形は「なんし」が多いようですが、これは連用形が勧めとなりやわらかな命令になっているということでしょう。
◎「ありんす」
構造的に似た表現に「ありんす」があります。これは「ありもす(有りも為)」。(そうで)有りもする(そうでないかもしれない)、の意。これは江戸時代、吉原・遊郭における独特な表現です。これは客には「あります」に聞こえ、たとえば。『おいらのことは好きかい?』『ぬしはわっちのただ一人の男衆でありんす』。そして、(「する」の「る」の退行化も起こりつつ)そのような表現もなされているでしょう。たとえば、「~でありんすか?」のような表現。
「わっちより外(ほか)にぬしの相かた衆はねへはずでありんす」(「洒落本」)。