この「う」は、空虚感を表現する「あ」(「あえ(落え・熟え)」の項)がU音化し遊離した動態感が生じている「う」(→「う」の項・4月10日)、ということです。その「う」を語幹にして「うせ(失せ)」は客観的な対象を主体とした自動表現になっています。空虚な動態感があるということであり、これが喪失感を表現します。情況に空虚感が生じる「あせ(褪せ)」に動態感が生じたような表現。

「跡もなくこそかき消(け)ちて失せにしか」(『源氏物語』:居なくなってしまった。古くは「消し」ではなく「消ち」が一般的です)。人が居なくなるという意味で、死ぬことも意味します。「そのみこうせ給ひて、おほん葬(はぶり)の夜」(『伊勢物語』)。また、人が居なくなることは移動すること、行く、や、来る(今いるその地点からこちらへいなくなる)、の、消えちまえ、や、来やがれ、のような、粗暴な(相手への尊重感のない、むしろ、相手を侮蔑した)言い方にもなります。「ヤイ爰(ここ)へこい。対手(あいて)になる。うせぬか、おのれ」 (「滑稽本」:この「うせ」は、来い、の意でしょう)。また、移動は社会的関係を生じることであり、「うせ」が社会的関係があることの粗暴な(侮蔑的な)表現にもなります。「宗盛公の御恩沢にあづかってうせながら」(「歌舞伎」)。さらには、社会的関係があることは物的に存在すること、そこに居ること、も表現し「うせ」はその粗暴な(侮蔑的な)表現にもなりました。これは「うせ(失せ):居なくなり」が、居る、を表現するという逆意の状態になります。「エエ無念な。少将めは恋の敵(かたき)なれば、今宵討たんと思ひしに。うせなんだ」(「歌舞伎」:この「うせ」は、居なくならなかった、では意味がおかしい。居なかった、でしょう)。