◎「うずくまり(蹲り)」(動詞)の語源

「うしすくみまろり(牛竦み丸り)」。牛が竦(すく)み(硬直したように身を縮め)丸くなったような状態になること。「まろり」は丸い印象の状態になること。「空しき竈戸(かまど)に向かひ、頬を押さへて蹲(うずくまり)」(『日本霊異記』)。「刑部録といふ庁官、………扇を笏(シャク)にとりて、すこしうつぶして、うずくまり居たり」(『宇治拾遺物語』)。

 

◎「うずすまり」の語源

「うちすうまり(打ち鳥埋まり)」。「うち(打ち)」は何かを現すこと、現実化することが原意であり(→「うち(打ち)」の項)、「す(鳥)」は鳥(とり)を意味する(→「す(鳥)」の項)。この「うちす(打ち鳥)」の場合の「うち(打ち)」は「うちみづ(打ち水)」のそれのようなものであり、撒(ま)く、のような意。すなわち「うちす(打ち鳥)」は、撒いた鳥。『古事記』の歌ではこの語の前に「にはすずめ(庭雀)」があり、庭に多くの雀が集まったように、撒かれた鳥の状態で、ということ。その撒かれた鳥の状態で「うまり(埋まり)」と表現されているのが「うちすうまり(打ち鳥埋まり)→うずすまり」なわけであるが、「うまり(埋まり)」は元来は満ちて一杯になっていることを意味する「うめ(埋め)」の項(「会場は聴衆で埋まり」などのそれであり、何かが土中に埋まっているような状態になっているわけではない)。つまり「(大宮人が)うずすまり居て」は、(大宮人が)小鳥(雀)が群がり集まるように満ちて居て、ということ。『古事記』歌謡102にある表現。

「ももしきの 大宮人(おほみやびと)は 鶉鳥(うずらとり) 頒巾(ひれ)取(と)り懸(か)けて 鶺鴒(まなばしら) 尾(を)行(ゆ)き合(あ)へ 庭雀(にはすずめ) うずすまり居(ゐ)て……」(『古事記』歌謡102:「まなばしら」は小鳥の鶺鴒(セキレイ)のこと。鶉(うずら)のように装身的な布を肩からかけ、鶺鴒(セキレイ)のように尾(刀のこと)を揃え、庭雀のように集まっているということ)。