「ゐゆしりよ(居ゆ尻世)」。「ゐゆ」が「う」の音になっています。「よ」のY音は退化しています。「ゐ(居)」は、今の居(ゐ)、自分の今の身体全体の有るあり方。「ゆ」は基点を意味します「ゆ(助詞)」の項(この助詞は原意は経験経過を表現し、その原意からさまざまなことを表現し、ここでは基点を表現します→家ゆ来(く)、なら、家からくる)。「しり(尻)」は身体部分を意味しているのですが、動態表現にもなっています(この語は坐すると自分が支配する領域となる身体部分、のような意味です)→「しり(尻)」の項。「ゐゆしりよ(居ゆ尻世)→うしろ」は、居(ゐ)より尻化している世、のような表現であり、今の有るあり方より尻の方に有る世界、の意。人の背後の空間域。客観的に認識している物の場合は、自分が見ている側がその物の「まへ(前)」になり、その物を基点としたその反対側がその物の「うしろ(後)」になります(→「木のうしろに隠れる」)。

情況が前から進行しこれに対応し後ろへ(背後へ)ながれていくように事態をとらえ、対応した事態たる結果、のような意味で「うしろ(後)」と言われることもあります。「敵と決戦なし主君の後(うし)ろを安くせん」(『近世紀聞』:主君が結果に関し何の心配もなくいろいろなことができるようにしよう、ということです)。「うしろみ(後見)」(結果を(推測的にでも)見、見られているものの安全を保障すること:「少納言の乳母(めのと)とぞ人の言ふめるはこの子(若紫)のうしろみなるべし」(『源氏物語』)。この「うしろみ(後見)」という語はそのまま動詞化もしています。この動詞化は当初は「み(見)」の動詞がそのまま生きた上一段活用なのですが→「うしろみ聞こえ給ふ」(『源氏物語』:「うしろみ」という動態を効果発生させる(→「きこえ(聞こえ)」の項))、のちには「み」が活用語尾化し上二段活用になります→「南院の七郎君にうしろむべきことなどおほせられける」(『大鏡』:「~べし」の前は終止形なので「み(見)」の終止形なら「みる(見る)」になります))。

その他「うしろ~」という表現は多いです。たとえば「うしろがみ(後ろ髪)」、「うしろぐらい(後ろ暗い)」、「うしろめたい」(後ろ目痛い)その他。