◎「うし(大人)」
「ゐふし(居伏し)」。「ゐ(居)」は存在・現実化を持続感をもって、たしかなこととして、自己受容することを表現する→「ゐ(居)」の項。「ふし(伏し)」は、他動的にAを伏(ふ)しだ場合、Aは自足した特化域を形成する状態になる→「ふし(伏し)」の項。存在・現実化を、たしかなこととして、自己受容し人のある生活域に自足した特化域を形成するとはどういうことかというと、ある域に強力な、ある場合には絶対的な、影響を及ぼしている、ある域に支配的な影響を及ぼしている、ということです。そうした、ある域に支配的な影響を及ぼしている人が「ゐふし(居伏し)→うし」。後には尊称としても用いられます(たとえば江戸時代に賀茂真淵が「あがたゐ(県居:田舎住まい)のうし」と呼ばれたりしますが、これは擬古的な表現でしょう。賀茂真淵は「万葉調」の歌なども作る「国学」で有名な人です)。この語は元来はW音がさらに強化された「ぶし」に近いような音(オン)だったかもしれません。
「仍(よ)りて其(そ)の子大背飯三熊之大人(おほせいひのみくまのうし) (以下細字)大人 此をば于志と云ふ」(『日本書紀』(天孫降臨の始まりの部分):「背飯」は「そび」とも読まれる)。
「瑞歯別皇子(みつはわけのみこ:反正天皇)、太子(ひつぎのみこ:履中天皇)に啓(まう)して曰(まう)したまはく『大人(うし)何(なに)ぞ憂(うれ)へますこと甚(はなはだし)き。……』」(『日本書紀』:これは太子(履中天皇:仁徳天皇の子)への尊称たる代名詞として言われています。大人は何を迷い悩んでるんですか、のような言い方ですね。履中天皇が即位するころ、仲皇子(なかつみこ)という人が太子の妃になるはずだった人を騙して姧し、ついには殺される、という出来事があったそうです。これは西暦400年代後半くらいの出来事なのでしょうか。300年代後半くらいからの天皇名を列記すると、応神→仁徳→履中→反正→允恭→安康→雄略。『万葉集』の冒頭の歌は雄略天皇の歌とされています)。
◎ついでに動物名「うし(牛)」の語源
「う」は鳴声の擬音。「し」は「しし(獣)」。動物の一種の名。