「うけ(受け・請け)」の「う」はE音化、すなわち外渉感(外的対象との係わり感)が生じ動詞「え(得)」になる「う」であり、動詞「え(得)」の終止形の「う(得)」でもあります。「う(得)」は「うむ」と認容する語感の表現であり、これが帰属の自己認容を表現します。すなわち「うけ(受け・請け)」は、何か(ものやこと)が自己に帰属し容認したことを確認表現します。

「風に散る花橘を袖にうけて君がみ跡と偲(しの)ひつるかも」(万1966)。

「よきことなりとうけつ」(『竹取物語』:容認し認めた)。この、容認し認められことが人に起こった場合、信頼・信用されたり、人に好感をもたれたり好評を博したりして認容されることを意味します。

「言葉賤(いや)しからずして姿幽玄ならんをうけたる達人とは申すべきか」(『風姿花伝』:一般的に認容された、問題なく達人と言いうる達人)。

「うけ」が貸借関係や身元の保証を意味することもあります。「借家のうけになるはむつかし」(「俳諧」:保証人)。

「うけおひ」という言葉があり、漢字で「請負」と書きますが、中国語の「請(チン。日本では、セイ)」は願ったり求めたりすることを意味し(「請求」「申請」)、「うけ」という意味はないようです。「請負」にある「請(う)け」は引き受けることを意味する日本独特の表記のようです。なぜ、受けたり保証したりすることが願ったり求めたりすることを意味する「請」で書かれるのでしょうか。「情」の偏(りっしんべん)たる「心」を「言」で現(あらは)したということでしょうか。つまり、引き受けることを意味する「請」は、心ある、情ある、言、ということ。