「いむみを(斎む・忌む御緒)」。「いみ(斎み・忌み)」はその項参照(3月14)。「いむ(斎む・忌む)」はその連体形。「み(御)」も「み(御)」の項参照。これは敬い重んじるべきもの・ことに添えられます。「を(緒)」は紐状の長いものを表現しますが、これが臍(へそ)の緒(を)も意味し、「を」が、それによる人間関係、つながり、すなわち遠い古代以来の「を」による人間のつながり、とりわけ影響のあるのは血族や親族や家族や先祖・子孫の関係、その関係にある人たち、といったことを表現します。『万葉集』(歌番4360)にある「今(いま)のを(伊麻能乎)」(今の人々たる子孫)の「を(乎)」もこれです。すなわち「いむみを」の「を」は、そうした「を(緒)」の関係に有る人を表し、「いむみを(斎む・忌む御緒)→いも」は、それが何かを忌(斎)まなければならない人であることを表します。何を忌(斎)むのかと言うと、手を触れること、手をつけること、すなわち性交渉、性的な関係になることです。それは事実上女を意味し、同じ腹から(同じ腹によって「を(緒)」でつながって)生まれた女を意味します。すなわち同腹の男に対する関係での同腹の女(それらの男から言う姉や妹)を意味します。「を(緒)」が同じであることのタブー感は、それを犯せば個体が死んでしまうような直接的・致命的なものではありませんが、たぶん遺伝子的要請なのでしょう。後には、この「いも(妹)」という言葉は(気軽な気持ちで)触れてはならない大切な女や特別な関係にある親しい女を一般的に表すようにもなります(女が、心を許した親しい女をそう呼ぶことも起こります)。
「古(いにしへ)は、兄弟(あにおとと)長幼(ひととなれるいとけなき)を言(い)はず女は男を以(も)て兄(せ)と稱(い)ふ、男は女を以(も)て妹(いも)と稱(い)ふ」(『日本書紀』仁賢天皇六年九月)。
「妹(いも)といふは無禮(なめ)し恐(かしこ)ししかすがに(しかしそれでも)懸(か)けまく欲しき言(こと)にあるかも」(万2915)。
「妹(いも)は忘れじ世のことごとに」(『古事記』歌謡9)。