「いひえ(飯得)」。家族が飯を得る(食う)ところ、の意。現代では「家を建てる」といった言い方もするわけですが、原意的には、「いへ(家)」は建造物を意味しているわけではありません。単なる自然の岩穴や岩陰(いはかげ)だったとしても、そこは「いひえ(飯得)→いへ」になります。なぜそこに空間的定点性・恒在性、そして人の恒住性があるのかというと、そこに食べ物を加熱加工する火が、「ほど(火処)」や「かまど(竈)」が、あったからです。「いひ(飯)」は、温かな(熱い)食べ物、が原意(→「いひ(飯)」の項・2月24日)。今、そして過去から現在にわたって代々、そこで時間的・空間的(物的空間という意味だけではなく社会空間・意味空間という意味においても)に恒常的に生活する人々やその人々と生活関係(とりわけ血族的関係)を同じくしている人々やその関係総体も「いへ」と言われ(→「いへがら(家柄)」)、さらにはその特性も「いへ」と言われ(→「此の保昌朝臣は家(いへ)を継ぎたる兵(つはもの)にも非(あら)ず」(『今昔物語』))、芸風も「いへ」と言われます(→「いへもと(家元)」:芸風が特性だということ)。「小林(をばやし)に我を引き入れ奸(せ)し人の面(おもて)も知らず家(いへ)も知らずも」(『日本書紀』歌謡111:これは皇極天皇紀の謡歌(わざうた))。「春雨に吾立ち濡ると家(いへ)思ふらむか」(万1696:これは、家の人、の意で言っています)。